ニュース画像
「誠」の隊旗を掲げた五重塔院で営まれた法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

災害からの守りこそ平和を守り抜くこと

2011年9月27日付 中外日報(社説)

旧西独で1952年、負担調整法が成立した。敗戦で分断された旧独領の東方地域を強制追放された1千万人以上の難民を救済するため、西独国民に税を課す法律だった。同胞が苦難を分かち合うことで国難に立ち向かったわけだ。日本では東日本大震災の復興増税プランが迷走を続けている。戦災と震災、歴史事情や時代状況などの差はある。だが、日本は災難に遭った人々への向き合い方で何か大きな忘れ物をしてはいないか。そう問われているように思う。

負担調整法は平成11年阪神・淡路大震災の復興を考えるシンポジウムで、ゲストのワイツゼッカー独元大統領に教えられた。東西ドイツ統一時に大統領を務めた、国際的にも著名な政治家である。

同法成立当時、人口6千万人の西独に東側から流入した難民は1200万人に上った。その生活支援は深刻な難題で、社会的公正の原則に基づき故郷を追われずに済んだ人々が賦課金を出し合う発想が生まれた。補償対象者の範囲や額の確定など利害の錯綜を丁寧に調整し、法制化にこぎ着けた。

元大統領は阪神・淡路大震災を念頭に「(平和は外敵との問題だけではなく)災害から社会を守ることで平和を守るという大きな課題がある」と語った。政情不安を起こす難民問題を「痛みを共に背負う」ことで乗り切り、ヨーロッパの平和に貢献した自負もあっただろう。筆者は、戦時中何百万の人々が家を焼かれた無差別空襲の被害者に何ら救済策を講じず、逆にそれを理由に原爆被爆者にもまっとうな補償をしないまま来た日本の国柄を思い浮かべた。

付言すればドイツには災害が政治家を育てるという伝統があるようだ。1962年に北部地域を襲った大規模な高潮・洪水でハンブルク特別市のシュミット警察長官が指導力を発揮し、多くの命を救った。さらに実績を重ねた氏が後に首相に就任したのは一例だ。

日本では東日本大震災を機に国の財政難・増税が急浮上した。しかし、政府の思惑通りにはなかなか進まない。政治家のリーダーシップ不足は再三論難されてきた。税金のムダ排除には消極的で自己の既得権・権益拡大にばかり腐心する霞ケ関の官僚支配への国民の不信感が厚い壁になっている。何より公憤を招くのは、原発事故で生じた何万人もの"原発難民"に安住のめどさえ示せないこと。政治の貧困によって社会の平和がかき乱されている。

そんな政治を許してきた私たち一人一人が「無明」からの解脱を迫られているのであろう。