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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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菩薩行の実践へと垣根越えて一歩を

2011年9月22日付 中外日報(社説)

僧侶が葬儀の導師に役割を特化させ、生老病死の現場で実質的にいのちの問題に関わることがなくなった、という批判が行われるようになったのは昨日今日のことではない。それは「葬式仏教」に安住するお坊さんといったネガティブな一般的イメージにつながってくるが、現実には、そのイメージに反し、少なからぬ数の僧侶によってこうした批判は真剣に受け止められてきた。

人生の終末期の問題に関しては、ビハーラの運動がすでに歴史を積み重ねている。しかし、歴史的に形作られてきた宗教文化的な慣習・感覚の拘束力は強い。例えば、欧米の病院におけるキリスト教のチャプレンとは異なり、僧侶にとって一般の病院に出入りすること自体敷居が高い。日本の文化的土壌では、病院で法衣をまとった僧侶の姿を見掛けるのは、やはり常識の外だろう。

その敷居を越えて、次の一歩を踏み出すシステムを新たに提案しているのが対本宗訓医師だ。臨済宗のある大本山の管長を退き、親子ほど年齢の違う学生たちと共に医学部で学び、卒業後は「僧医」として活動中。いのちの最期の時期に差し掛かった人々の心と身体の問題に取り組む「周死期学」を提唱し、宗門の若手僧侶らに呼び掛けて「臨床僧の会 サーラ」を立ち上げたことは本紙でも紹介されている。

「臨床僧」の提案は、僧侶が病院のケアチームに参加する資格を取得しようというものだ。勧めているのは比較的容易に取れるホームヘルパー2級の資格である。会の立ち上げの会合では医師側から、資格を取っても僧侶の「偉そうな姿勢」ではケアチームが迷惑する、など辛口の意見も出たが、すでに京都では数人の僧侶が資格取得のための講座を受講し始めている。

「臨床僧の会 サーラ」の事務局を担当する児玉修氏によれば、スタッフの少ない小規模な病院から協力要請があったほか、がん患者の会との接点もできて、病院外での活動の可能性も見えてきた、という。さらに一歩踏み出せば、これまで見えなかったもの、関わりがなかった縁が浮かび上がってくることが期待される。

菩薩行の実践はさまざまな形があり、また歩む方向も多様だ。対本医師が提唱する「臨床僧の会 サーラ」自体が数として大きな運動になるかどうかは分からない。だが、一歩踏み出せば何かがそれに従って動き始める。その「動き」が今ほど求められている時はない。