ニュース画像
「誠」の隊旗を掲げた五重塔院で営まれた法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

震災モニュメント 復興と絆の象徴に

2011年8月30日付 中外日報(社説)

京都・洛東の仲源寺で地蔵盆法要が今年も営まれた。眼病平癒の「目疾み地蔵」で知られるが、本来は「雨止み地蔵」である。

すぐ西に位置する鴨川は古来、白河法皇の「意のままにならず」の言通り大雨でたびたび氾濫した。鎌倉期、河川管理役「防鴨河使」の勢多為兼が地蔵菩薩のお告げで洪水の犠牲を未然に防ぐことができ、感謝を込めてゆかりの地に祀ったのが由来とされる。水害への備えの重要性を警告するこの地蔵のような災害の宗教的記念物は全国に数限りない。

仙台市若林区の浪分神社は、貞観地震・大津波(869年)に由来し、海岸から5キロのこの場所まで津波が押し寄せたと伝えられる。白馬にまたがった海神が波を分けて鎮めたとの伝説もある。

だがその教訓はいつしか忘れ去られ、あるいは文明の「進化」によって無視され、このたびの震災による津波では近くまで一面が瓦礫の荒野になってしまった。地元では痛恨の思いを語る人も多く、私たちは先人の経験知には真摯に学ばねばならないとの気持が深まる。

しかし、である。同様に人智の未熟さを自覚しない、科学技術の驕りの最たるものである原発の事故、この人的災害をわれわれはどう受け止め、子孫たちに伝えたらいいのだろうか。

「ウラン神社もプルトニウム神社もあり得ない」。そう指弾するのは、福島県の寺院住職で政府の復興構想会議委員である作家玄侑宗久氏。地震や津波などの天災、それを生み出す自然は「無常」であると仏教は捉える。だがその自然の海や山は人間を清めてもくれる。自然は無常であるがゆえに恐ろしく、また清いのだ。

しかし、半減期が数万年から数千万年のプルトニウムなどの核廃棄物は「無常」どころか「不変」に近く、自然も未来永劫に汚染され続ける、と先に開かれたシンポジムで氏は怒りをぶつけた。

廃炉で「化け物屋敷」のような巨大コンクリート塊が「記念碑」になるならあまりに悲しいが、阪神・淡路大震災後にできた災害遺跡への巡礼が「あの日を忘れない」気持によって人々を勇気付けたように、この震災でも復興に立ち上がろうとする人たちのモニュメントが築かれることだろう。

為兼の姓 「中原」 の2字に 「人」と「水」を付けたのが「仲源」の寺名という。地蔵盆の念仏唱和の中、善男善女が手から手へと繰る、有縁の人々の名が刻まれた大きな数珠の幾つもの珠が、いのちのつながりのように見えた。