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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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五山送り火に託す鎮魂と復興の祈り

2011年8月11日付 中外日報(社説)

忘れてはならない日。それが災厄で犠牲になった人々の慰霊の日、平安念願の日であるなら、それをある意味で「まつり」と言うことができよう。祝祭行事のルーツの一つではあるが、それとは趣を異にする「祈りの祀り」だ。

終戦の日を前に、「8・15」と「3・11」の意味を重ね合わせる方も多いだろう。日本の敗戦の日が仏教の盂蘭盆と重なっているのも何かの縁を感じさせる。

その盆行事の一つ、霊を送り出す京都の「五山送り火」で今年、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市の名勝高田松原の倒れた松を、薪にして焚き上げる計画があった。「放射能の心配」という「意見」で大文字山への搬入が中止になったのは悲しいが、遺族や被災者たちが400本近くに書き込んだ祈りの言葉や思いは伝達される。

この送り火の伝統は長いが、戦争中は担い手の男たちが戦地に駆り出されたのと空襲に備えた灯火管制のため、昭和18年から3年間、中止された。そして、代わって早朝に地元の国民学校児童と市民計800人が白いシャツ姿で山に登り、火床に「大」の人文字を描いてラジオ体操をした。

それは「戦意高揚」と「英霊の慰霊」が狙いだったが、平成6年、戦争の惨禍を訴える映画の撮影でこの「白い大文字」が再現された。その際、半世紀前に登った婦人たちが特別参加したのを取材したが、「私たちにとって大文字は平和の祈りです」との言葉が胸に突き刺さった。

この8月、東北各地では「七夕」など多くの伝統のまつりが困難を押して繰り広げられた。「千年に1度」の大津波が三陸を襲った「貞観地震」の年、869年に平安を祈念して始まった京都・祇園祭の鉾も特別参加し、鎮魂の囃子「唐子」が奉納された。

その被災地の老人は、津波や原発事故で苦難を強いられても「わしら、戦(いくさ)ぁ経験してるっぺ」と乗り越えようとする。その強靭な精神力は、内外のあまたの人々を犠牲にした戦争を起こし、もはや「犯罪」ともいえる安全神話で欺瞞し続けた「権力」によってではなく、どのように時代が移り環境が激変しようとも生きようとする、人間の心によって培われた。

その「心」は、8月の、そして3月の「あの日」を決して「記念日」に風化させはしないだろうし、その祈りには行動へと踏み出す力があると信じる。夜空を焦がす送り火、揺らめく盆提灯の明かりに、さまざまな鎮魂と平安の祈りを込めて掌を合わせたい。