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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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人のいのちの価値を経済に従属させるな

2011年8月6日付 中外日報(社説)

福島原発事故の災害は甚大で、地域住民の苦しみや悲しみはいかばかりかと思いやられる。地域住民と書いたが、線量の多い地域は広範囲に及び、必ずしも原発からの距離に比例してはいない。例えば、柏市など千葉県の東葛地域は線量の高いホットスポットが多い。

子供を持つ母親やこれから子供を持ちたいと考えているカップルは、深刻な懸念に悩まされている。宗教的ないのちへの畏敬の念や思いやりの心を大切にする人々は、悩む若い親の世代の語りに耳を傾け、どのような対策が可能か、共に話し合い、手伝えることがないかどうか真剣に考えていることだろう。

この問題に関して、放射線の専門家たちが、低線量の放射線では被害がないと断言したり、強く示唆したりしている。

他方、低線量の被ばくも人体に深刻な影響を及ぼす可能性があるとして、政府や自治体の対策は不十分だと批判する学者もいる。多くの市民はどちらが正しいのか分からず、戸惑い、途方に暮れている。

放射線の人体への影響によってがんで死に至ったり、他の障害で苦しんだりする可能性がどのぐらいかについては諸説あって学者の意見も分岐している。「安全」派と「万全対策」派が対立して歩み寄る気配がないのだ。

どうしてこのような分岐が生じたのか。医療で用いられる放射線のリスク問題の範囲ではこうした意見の分岐は生じない。極端に意見が分かれるのは核開発が関わっている。原爆の開発・実験では多くの犠牲者が出ている。その被害をどう見積もるかは軍事機密に属し、補償をできるだけ小さくしたいという動機が働くのは避けられない。

原子力発電所の開発に際しては施設で働く人々への被害も問題となる。被ばくを減らそうとするとコストが高くなるので、開発推進側はその被害をできるだけ小さく見積もろうとする。そのために開発推進側は放射線医学の研究機関もその配下に置こうとしてきた。「万全対策」派は公的な地位を追われがちだった。

「安全」派と「万全対策」派の対立を見る上で、以上のような歴史的経緯を理解しておくと役に立つ。

「いのち」の価値が軍事的経済的動機に従属することがないかどうか。宗教的なまなざしがどこまで葛藤の背後にあるものを見抜くことができるか、今こそ問われているのかもしれない。