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原発問題の"今"を予言したかの如く

2011年8月4日付 中外日報(社説)

昭和30年のある日、広島大学学長室で、河石九二夫医学部長が森戸辰男学長に「メディカル・リアクター(医学用原子炉)を作りたい」と相談した。放射線治療用のアイソトープ(放射性同位元素)の入手を容易にしたいとの計画だった。一部新聞に漏れて「広島大が原子炉を計画」と報じられ、森戸学長は翌日「まだまだ構想の段階だ」と釈明会見した。

広島大学では、前身の広島文理科大学学長を務めた長田新氏が、被爆遺児の作文集『原爆の子』=岩波書店=の編者として、序文に「広島こそ平和的条件における原子力時代の誕生地でなくてはならない=要旨」と記した。

森戸氏は社会党代議士・文部大臣を務めた前歴がある。長田氏は思想的に社会党左派系と見る人が多かった。被爆後日の浅い広島では、原爆には反対でも、原子力の平和的利用を認める雰囲気が、超党派的に強かった。

平成18年10月、79歳で死去した作家・田端展氏(本名・小久保三好、広島市南区)もその一人で、平成7年出版の『被爆舞踏曲』では、広島で開かれる博覧会に、小型原子炉を動力としたロボットを登場させるという、SF調の物語を展開した。

田端氏は、旧制広島工業専門学校(現・広島大学工学部)電気工学科在学中に、爆心から4キロの動員先の工場で被爆したが、無傷だった。『被爆舞踏曲』は、田端氏の文学性と理科的思考を結び付けた作品で、原子力平和利用に肯定的な内容である。

田端氏はこう語っていた。「被爆文学の壁を打破して、原爆文学を確立するには"仕掛け"が必要だ。私はその"仕掛け"に挑戦してみたい」。原子力ロボットの登場は、その一環だった。

しかし76歳になった時、原爆の影響とみられる病気で、大きな手術を受ける。田端氏は「反原発」に転向し、同人誌に要旨次のような手記を寄せた。「これからの電力源は、太陽光発電がよい。また森の中で間伐材を燃やす小さな火力発電所を作りたい。二人の孫には、太陽光パネルを作る"瓦の職人"と、緑の森の発電所を管理する"番人"になってもらいたい」(平成19年6月26日付本欄)

あたかも、原子力発電をめぐる現在の状況を予言したような内容である。電気業界の事情に通じた田端氏だからこそ書くことのできた手記であろう。

66回目の原爆忌。広島・長崎両市長によって発せられる平和宣言を、亡き田端氏はどう評価するであろうか。