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10万年後に丸投げ 「核のごみ」の処理

2011年8月2日付 中外日報(社説)

映画「100000年後の安全」は、原発から出た高レベル放射性廃棄物を土中に埋蔵する、フィンランドで建設中の施設「オンカロ(隠された場所の意)」を扱った秀逸のドキュメンタリーだ。

半減期が気の遠くなるほど長い核のゴミは、通常の保存施設では災害や戦争、環境破壊などの要因で未来まで安全確保が困難だ。地表から500メートル、延長5キロのトンネルの先の「地下要塞」の建設過程、さまざまなデータや関係者の談話を追った映画は、淡々とこの廃棄物の厄介さを告発する。

90年後に厚いコンクリートで密閉し、10万年後まで保管する計画。だが、今からさかのぼれば石器時代のはるか以前に当たるような時を隔てた未来の人類に、「ここは危険」といかに伝えるのか。数万年後の氷河期到来の予測もある中で文化や言語は継続性があるのか。標識や碑を建てても解読されるか不安だし、ピラミッドのように掘り返されるかもしれない。

偶然に発見されるような場所ではないので、「いっそ記憶から消し去るのが最善」というが、どうやって? そこで「忘れ去れ。それを決して忘れてはならない」と言い伝えるというブラックユーモアのような論議まで出るが、警鐘は文書などではなく「危険伝説」ともいうべき「宗教的タブー」として伝承するしかない、と米国の学者が唱えた話を先日の朝日新聞のコラムが紹介していた。

超未来までを拘束するような技術は、そのことだけで安全とは縁遠い。だが原発の賛否に無関係に、世界中で毎年8千トン、累計二十数万トンの廃棄物が既に存在する。未来にこれを処理する技術が、またそもそも歴史の浅い「科学」に価値を置く文明があるのかどうかさえ保証はないのだ。

福島の事故以来、「にわか脱原発論者」の識者が増えたともいわれる。無自覚から考えが改まったなら結構だが、核攻撃によって終結させられたあの戦争の後に、「にわか民主主義者」が増えたことと似ている、との論評もある。

以前から原発の危険性を訴えた人々の声を聞かず、今ごろ小手先の「安全対策」や「生活態度の改善」を言うのではなく、未来の人類の生存まで見据えた、深遠な文明論が求められている。例えば仏教には「五十六億七千万年後の弥勒下生」という未来観もある。

映画のラスト。暗い地下道の映像にかぶせ、未来にやって来る者へ語り掛ける想定で「危ない。引き返して、より良い世界を作ってほしい」と訴える声は、隘路に入った我々にこそ向けられている。