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人麻呂のロマンと平和利用の思惑と

2011年7月28日付 中外日報(社説)

平安時代の万寿地震(1026年)で海中に没したとされる島根県益田市沖の鴨島は、謎の多い万葉歌人・柿本人麻呂終えんの地の有力候補地として知られる。かつて同地を訪ね教えられた。今、それを思い出したのは原発の安全論争からだ。原発の地震・津波への耐性を解析するストレステストが注目の的だが、地盤沈下で海没するケースは想定されないだろう。考えてみれば怖い話である。

万寿地震の学術的な資料は少ない。だが、地元には数々の言い伝えがある。鴨島にあったという人麻呂を祀る人丸社が起源の高津柿本神社(同市高津町)の縁起などだ。一部地震学者の調査では海岸から1キロの鴨島には複数の社寺と数百戸の人家があったが地震と津波で水没、対岸の陸地も2メートルほど沈下した。M7・6クラスの近海地震と推定される。

地震で島や海岸域が海に消えた歴史の記録は他にも幾つかある。いずれも千年単位の異変だが、確率論では原発地域で起こる可能性はゼロではない。結果が破滅的なら、起きる確率が極小でもゼロでなければリスクは無限大だ。悠久の大地では日本の原発の稼働からの半世紀は一瞬のことである。

福島の事故では十余万人もの人々が避難を強いられ帰れるめども立たない。難民化した状況に絶望し自殺する人も出始めた。取り返しのつかない人間の過ちという点で原爆に通じる。「核」と「原子力」は英語では共にNUCLEARで表裏一体のものだ。今回の震災でそれを思い知らされた。

ところで世界で唯一の被爆国、また世界的にまれな地震大国日本がなぜ原発立国を目指したのか。

昭和28年以降、米国が旧ソ連との核競争で優位に立つため原子力平和利用の技術供与を始めたのは周知の事実だが、広島平和研究所教授の田中利幸氏によると、その宣伝工作のターゲットにされたのが広島だった。昭和31年、広島平和記念資料館で「原子力平和利用博覧会」が開かれ、原子炉模型などの展示物で「原子力のバラ色の夢」をアピールした。米国が進めたこのイベントに、原発推進の日本の大手メディアが協力し、成功に導いた。その2年後にも同じ会場、同様の展示物で「広島復興大博覧会」が開催された。

同氏は被爆者に原子力平和利用を受け入れさせ「第五福竜丸」の悲劇(昭和29年)で高まった核アレルギーを薄め米国の政策の正当化を図る狙いだったと断じている(岩波書店『世界』8月号)。

人麻呂に絡む歴史のロマンと比べ、なんとも肌寒い話である。