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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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都市と地方の寺院のネットワーク活用を

2011年7月14日付 中外日報(社説)

東日本大震災ではボランティアが経費自弁で被災地域を訪れて、支援活動をしている姿に多くの人が感動している。今の若い人たちの生き方を見直した、素晴らしいという声も聞く。そうしたこともあってか、マスメディアで今まで目に入らなかった若者のさまざまな活動を意識して紹介する傾向が見えるのは結構なことであると思う。

たまたま先日、田舎で農作業を手伝う若者のグループがテレビで紹介されていた。往復交通費はもちろん、作業着も自弁、昼ご飯代も農家に支払う。日頃はコンピューターの前に座って仕事をしているOLが、自然の中で、田んぼの泥にまみれて作業する、それが気分が良いのだという。

全ての人が都会生活の便利さを無上のものと感じているわけではない。だが、実際にそういう活動をしている人の声を聞くのはちょっとした新鮮な驚きであった。

不便な暮らしが「日常」になってしまうと、また話は変わってくるだろうが、それにしても、自然の恵みを受けて人として生き返るということをしっかり実感している若者たちがいるのは事実である。生活の便利さという物差しだけでは測りきれない多様な価値観があることが分かる。

ところで、仏教界で都市と地方の関係はどうか。これは、地方の過疎化・都市への人口流出とそれに伴う経済的影響の観点から語られることが多い。それを踏まえた寺院経営の観点で、学者から、近い将来、寺院は大幅に減少すると予言されても反論はしにくい。

しかし、人の動き、特に人の心の動きは、地方から都市へ、といった単純なものだろうか。もっと有機的な双方向性がそこにはあるのではないか。それを考えると、都市と地方の間で宗門のネットワークが法脈でつながり、都市寺院と地方寺院がさまざまな情報を共有していることは大きな意味を持ってくるのではないか。

むろん現実には、大都市圏に流出した檀信徒への対応がうまくいっていないことは承知している。だが一部では、都市寺院と地方寺院との交流が行われているようである。その芽を大切にし、諸種の情報を共有することにもっと目を向けてはどうであろうか。

過疎地と大都市圏の寺院の問題を別々のテーマとして割り切るのではなく、同じ日本の社会や文化を背景とする課題として巨視的に捉え、都市と地方の寺院ネットワークを生かせば、現代人の心の動きにもっと適切に対応できるのでは、と考えるのである。