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言葉が足らぬのは政治家だけでない

2011年7月12日付 中外日報(社説)

「言葉が足りなかった」と言って、就任早々に辞任した大臣がいた。被災地の東北3県を視察した際の"暴言"の責任を取ったものだ。だが"言葉が足りない"のは政治家だけではない。一部の学者も同罪ではなかろうか。

福島第1原発の事故により、空中や地表などで放射線測定が行われるようになった。記者会見などで数値が発表される。その数値を見て「誤差の範囲内だ」と述べた医学者がいた。この程度の数値では、がんの発生率や死亡率を左右することはないとの意味で、理科的思考の持ち主には、心配することはないと分かる。しかし素人には全く理解できない。

作家の司馬遼太郎氏が生前、仏教者に「中央市場の符丁で説法をするな」と注文を付けたことがある。中央市場の符丁は、仲買人にしか理解できない。それと同じように、僧侶にしか分からない仏教学の用語で法話をしても、一般の信者には理解されないだろうという戒めだった。

これは、放射線問題の専門学者にも当てはまる言葉ではないか。ベクレルやシーベルトなどという"中央市場の符丁"で語っても、被災地の住民には理解できず、不安は高まるばかりだ。

もうひとつ、誤解を招きやすいのは「いま直ちに健康に影響を与える数値ではない」という発表である。自然科学の専門家には、この言葉がそれ以上の意味もそれ以下の意味も持たないと分かる。しかし一般の人は「やがて影響が現れるという意味に違いない」と考えがちである。

つい先日、関西のある都市で開かれたシンポジウムでも「やがて現れる」の前提で議論が展開された。「健康問題は、将来必ずこうなるとの予測はしにくいものですよ」という発言があれば、さらなる成果が出たであろうに。

6月上旬に国立がん研究センターが開いた公開討論会では「今回の福島のような低線量被ばくではがん発生のリスクがあったとしても小さ過ぎて、統計的に有意な差が出てこない」との意見が出たという。科学的な厳密さを求めると一言で安全とか危険だと言えないのが現状とのことだ。

福島第1原発の損壊は"不幸"な出来事であるが、原子力問題への関心を高める契機にはなった。

マスコミ各社の科学専門記者に望みたいのは、学者と読者の間に立って放射線問題を正しく、分かりやすく伝える努力をしてほしいということだ。いつまでも"中央市場の符丁"がまかり通ることのないように。