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京都市営地下鉄の30周年に思うこと

2011年7月7日付 中外日報(社説)

平成6年1月、73歳で死去した伊達与恵さんは、全身まひという重い障害を背負っていた。旧制専門学校在学中に、多発性リウマチという難病にかかったためだ。できるのは笑うこと、話すこと、肘から先の手を動かすことだけである。伊達さんはその機能を使って大きな仕事を成し遂げた。

ほほ笑みで感謝の意を表す。話し掛けて励まし合う。わずかに動かせる手を使って電話機のダイヤルを回し、京都市の自宅から全国の障害者仲間に連絡を取る。こうして「子羊会」というグループが組織された。

伊達さんはカトリック信者だが「子羊会」は超宗派の組織として運営された。伊達さんの枕元には「友の会」というボランティア学生のグループが集まった。大多数は仏教系大学の学生だった。「伊達さんはごく普通のおばさんだ。話し合っていると楽しくて、私たちの方が元気づけられる」と学生たちは語った。

約40年前、重い障害を持つ人々は自宅にこもり、人前に出るのをはばかる傾向があった。伊達さんはボランティアの押す車椅子で積極的に外へ出た。家族の介護で外国旅行にも出掛けた。当時の日本の空港には、車椅子を受け入れる体制がなかった。搭乗の時、伊達さんは荷物用のクレーンで機内に運ばれた。空港に車椅子用の施設が整備されたのは、伊達さんに負う部分も大きい。

京都市に地下鉄が建設されると聞いた伊達さんは、当時の舩橋求己市長に「お願い」状を出した。「要求」ではなく「お願い」である。「できることなら、車椅子で乗れる地下鉄にしていただけないでしょうか」。ボランティア学生が集めた署名簿が添えられていた。舩橋市長の決断で、全ての駅に車椅子用エレベーターが備えられた。日本の交通機関で、画期的なことだった。その地下鉄は今年、開業30周年を迎えた。

伊達さんは常々「子羊会」の仲間に語った。「私たちが障害者年金を頂くことができるのは、国民の皆さんのおかげです。そのことを忘れてはなりません」

先日、広島市の松井一實市長が被爆者と話し合った時に「くれ、くれ」でなく「ありがとうございます」という感謝の気持を忘れないように、との発言をしたと伝えられている。賛否の意見も出ているようだ。もとより、障害者と被爆者の問題は、同一には論じられない。しかし何かの際に「ありがとう」の言葉が潤滑油の効果を果たすなら、その一言を用いてもよくはないか、という気もする。