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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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恐れと怒りからは何も生まれ出ない

2011年6月7日付 中外日報(社説)

インド独立指導者・ガンジーに倣って綿を栽培し、糸を紡いで自給自足経済の尊さを説き続けている片山佳代子さんは、夫の転勤に伴ってこのほど、新潟県上越市から秋田県大仙市に転居した。東日本大震災によるガソリン不足で、引っ越しが約1週間遅れた。

新しい住居で糸車を回しながら気付いたのは「恐れや怒りからは何も生まれない」ということだった。「震災について恐れたり怒ったりするよりも、建設的なことがあるはず。過ちを繰り返さず、本物の豊かさを手に入れる道を探りたい=要旨」と、知人宛ての転居の便りに記している。

片山さんの便りに、目を洗われる思いがした。放射能漏れについてマスコミは、東京電力が悪いとか、政府の対応が手ぬるいなどの意見を紹介し続けてきた。放射能の影響が恐ろしいという声も大見出しで伝えている。

片山さんの入手した資料によると、1世帯1カ月当たりの電力消費量は、1970年の約119キロワット時が39年後の2009年には約284キロワット時へと、2・4倍に増えている。「この事実を直視することなしに、私たちは廃炉を実現することができるでしょうか」

片山さんのこの便りを読んだ前後から、新聞紙上にも同様な意見が登場するようになった。例えば精神科医・斎藤環氏の毎日新聞への寄稿である。「(漠然とした不安ムードの広がる中で)できれば"政治の話"はもう少し待ってもらいたい。事態の収拾の見通しがついてから議論をしても遅くはあるまい」と提言する。

これはまさに阿含経が説く釈尊の「毒矢の例え」だ。毒矢が刺さった時、その矢を誰が作り誰が射たかを議論するより、まず矢を抜いて手当てをするのが先決だ、との教えに通じる。

また朝日新聞の読者投稿欄では兵庫県西宮市の医師・吉岡祐樹氏が次の意見を述べている。「原発の事故責任を国と東電に押し付ける論調が多いが、原発が福島県にあるのは、当時の福島県知事と地元自治体が受け入れたからです。(国や東電は責められるべきですが)一方的な責任論に私はくみしません=要旨」

原発からの送電量が増大したことにより、文化的な生活を享受してきた多くの市民にも反省すべき点があることは、片山さんの転居通知が示唆している。ヨハネ福音書の「あなたたちの中で、罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」の一節を想起させる。恐れや怒りを超えた視点を確立したい。