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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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大震災の経験と文明観の大変化

2011年5月24日付 中外日報(社説)

東日本大震災のことを聞いてヨーロッパの知識人は1755年11月1日の大震災を思い出したようだ。これは南西ヨーロッパ沖を震源とする地震で、当時のことだから地中海海底のプレート構造やその変動、震源の正確な位置は分かっていないが、規模はマグニチュード8・5~9と推定され、地震と津波がポルトガルの首都リスボンを含むイベリア半島西部を襲った。津波の高さは15メートルから20メートルに及んだとされる。

さらに地震によって火災が発生し、リスボンの8割以上がさら地同然となり、6万人以上の人命が失われたという。この事件はヨーロッパに深刻なショックをもたらした。「全知全能で正義と愛をもって世界と歴史を支配する神」への信仰に亀裂が入り、他方では当時のヨーロッパに広がっていた啓蒙主義が挫折した。

近代文明の初期、西欧の人々が科学と技術で自然を認識し支配し管理することができると思い始めた、まさにその時に起こったこの災害は、自然の無限の神秘に対する眼をあらためて開かせた。

無限なるものに対する畏れと憧憬は19世紀のいわゆるロマン主義の核心だといわれるが、自然だけではなく、やがて生命と歴史と人間に潜む無限と神秘、さらに人間的知性の把握と管理を超えた非合理なるものへの感覚が、平板な啓蒙主義的風潮に終わりをもたらしたのである。

今回の大震災が人間観また自然観に同様の変化をもたらすかどうか、まだ分からない。しかし規模は「想定外」でも、地震と津波のメカニズムはとにかく知られているのだし、原発事故の原因も分かっている。それだけに、人間は自分たちが作り出した技術や、さらに政治、軍事、経済を含む文明を制御できるのかという問いが明確な形をとって現れたといえるだろう。それは取りあえず原発は是か非かという問いだが、さらに、文明一般への問い直しへと進むことがあり得ると思われる。

その前に、この震災は日本中の人々の心に深い傷を与えた。津波が村を町を破壊し、家も車も船も沖へとさらってゆく映像を目の当たりにし、また多くの人が家も財産も職も失い、困窮する現実に接したからである。国民の多くが、自分たちだけ安全なら構わないなどと言ってはいられないことに気付いたのではないか。

エネルギーを大量消費する豊かで便利な生活より、皆が安全に幸せに生きる方が大切だという認識が広まれば、不幸中のせめてもの幸いと言うべきかもしれない。