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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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「強くあれ」ではなく人間らしさの回復へ

2011年5月14日付 中外日報(社説)

農家の敷地全面に十数センチも積もった津波の汚泥。瓦礫の下で悪臭を放ち、水分でずっしり重い層を取り除くと、現れた畑には野菜の青々とした苗が辛うじて生きていた。それは、農地に愛着を持ち丹精を込めてきたその土地の人たちの命そのものにも見え、希望を感じた。だが、一面廃虚の被災地でボランティアをしていて、「頑張ろう」という言葉を口にする気にはならなかった。

大震災から2カ月がたち、復興の中で「新たな創造」「頑張れ日本」の合唱が国中で起きている。だが、あえて後ろを振り返り、下を見ることも大事だろう。

喪失感は想像を絶する。肉親を亡くした人が「遠くから『頑張れ』と言ってほしくない」と思う感情面もだが、家族や友人も家も生活の糧も、地域の絆も全て失った事実はあまりに重い。写真アルバムは単なるモノではなく、生きた証し、その人の物語だ。新聞紙面を埋めた3万人の死者不明者の名前には、単なる数字ではない、その数だけの物語があるのだ。

「歴史的転換期」を言うのはいいが、何も今以上立派な未来都市など作る必要はない。清掃作業に伺った農家のご主人は多くの縁者を津波に奪われたが、庭の隅にある神仏の祠の周囲をきれいにしてほしいと希望された。

そんな地域のつながりや祭り、風習など失ったものを嘆き、取り戻そうとする時間も必要だ。被災者のケアに関して精神科医の野田正彰氏は、「頑張れ」というのは落胆している人には酷な最悪のメッセージだと指摘している。

復興が、これまで以上の市場経済社会、科学技術万能主義の社会への道なら、取り残されてさらに落ち込む被災者も多いだろう。ましてやそのための強引な増税や福祉削減などとんでもない。

振り返る、下を向くことは、たっぷり悲しむことと同時に、来し方を見直し、生き方の足元を見つめることだ。「歴史的転換」とは、震災前に社会を覆い、そして震災後も、「助け合い」の動きに見えにくくなりはしながらもなお存在する、「生きにくい社会」を根本から変革し、人間らしさを取り戻すことであるはずだ。

デパートのポスターやレストランのメニューにまで日の丸と「頑張れ日本」が印刷され、政治団体が「強い日本」を叫びながら「国旗」を林立させて街宣する状況は、「9・11」後の米国に似ている。「強くあれ」ではなく、弱い人々の側に立ち、寄り添うこと、それこそは宗教本来の働きではないだろうか。