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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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地域住民の怒り買う不十分な情報の開示

2011年4月16日付 中外日報(社説)

政府や、新聞・テレビなどのメディア、そこに登場する科学者らが不信の目で見られる事態が続いている。とりわけ、福島県の原発被害が大きい地域の住民の怒りが伝えられる機会が増えている。

3月25日、政府は「屋内退避」とされていた地域の住民に「自主避難」を促した。「国は自主避難というが、一体どうすればいいんだ――福島第1原発から20~30キロ圏内に住む住民は高い放射線の検出と政府のあいまいな対応にいらだちと不安を強めている」(毎日、3月26日朝刊)。4月11日、政府は飯舘村など30キロ圏外の住民にも避難指示を出した。「村と国のこれまでの話し合いについて説明もなく『急に逃げろ』とはどういうことか。村はなぜもっと早く決断しなかったのか」(MSN産経ニュース、4月11日)

こうした怒りは政府や科学者・メディアが十分に情報を提示してこなかったことと関わっている。政府・科学者・メディアそれぞれの判断があろうが、原発による被害の可能性について、国民にはできるだけ小さく見えるように伝えようとしてきた。主な理由はたぶん「国民がパニックに陥らないように」ということだろう。だが、そのために真実を隠しているという印象を与えることになったのは失敗だったといわざるを得ない。

不安を広げない責任があると考えたことは理解できるところがある。仏教には「方便」という重要な考え方、真実を述べるさまざまな仕方が存在するという思想がある。神道は「正直」の大切さを教えるが、相手との間柄を考えずにただあからさまに物事を語るのは慎みを欠くと教えるだろう。

だが、後から多くの人たちの怒りを買うような語り方には、何か大きな間違いがあったと考えなくてはならない。かつて戦時中に家族を亡くした人たちから、「私は8月15日に至るまで、大本営発表をそのまま信じていた」という怒りとも嘆きともつかない言葉を聞いたものだ。なぜ、真実をそれほどまでに歪めていたのかという悔しい気持がこもっている。

戦後、日本社会は民主化が進み、多様な物の見方を受け入れて、そこから知恵を出していく体制に転換したはずだ。情報を隠して国民の意見を誘導し一致させようという考え方は通用しない。情報を隠すことで何とか安定を保とうとする他国の状況を苦々しく見る人は、突然、日本にもそれに似たようなことが起こっていると感じているかもしれない。国際的な信用回復のためにも透明な情報開示をぜひ心掛けてほしい。