ニュース画像
叡南覚範門主からおかみそりを受ける参加者
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

宝永の富士噴火で神と祀られた役人

2011年4月5日付 中外日報(社説)

宝永4(1707)年の富士山大噴火で、今の静岡県御殿場市など東麓一帯に最大3メートルの降灰があった。それを除去しなかったため下流の酒匂川流域は後年、再三の大規模泥流災害に苦しんだ。噴火は天災だ。しかし泥流は当初から懸念され、明らかに人災だった。

当時の農民と幕府・小田原藩の対応ぶりが『富士山宝永大爆発』(永原慶二、集英社新書)に詳しい。苦境を必死に生き抜いた農民と無責任な為政者、それに連なる請負商人。東日本大震災と重なって見える部分が多い。300年を経ても人間は変わることがない。

同書によると、火山灰を厚くかぶった田畑は何十年も回復せず、「亡所」(廃村)寸前になった。小田原藩は手に負えず、幕府直轄で全国の藩から復旧資金を調達した。だが幕府も財政難。膨大な資金は被災地に回されず、降灰除去は農民の自助努力とされた。年貢だけは厳しく、一揆も起こった。

酒匂川は降灰と砂で天井川になり、請負商人に丸投げの築堤工事はずさんで大雨のたび決壊した。

そんな中で興味深いのは、降灰地域を詳しく検分し、農民に「砂除金」を下付した幕府役人もいたことだ。その人を祀る神社2社が今も地元に残るという。

人は危難に遭遇した時、その人間性が表れる。東日本大震災では、停電のため避難サイレンが鳴らず、海辺にとどまって「半鐘」を鳴らし続け津波にのまれた消防団員の話は胸に詰まる。「寂しい音だった」と同僚団員が言った。そんな悲話が次々と伝えられる。「悉有仏性」であろう。精神医学者は、特に、生存者の「心の負い目」が心配だという。自分の避難行動の遅れが人を巻き込んだとの痛恨の思いからである。

それに比して、被災地から遠く離れた人々の無責任な言動が目に余る。

福島第1原発の事故は、もとより人災である。事後対応のもたつきが不安を拡大し、事態を一層危機的にしている。苦難を切り開こうと懸命に頑張る人々を風聞、風評など二次、三次災害が次々襲う。「逃げ」とも見える政府の対応が「屋内退避・自主避難」圏の居住者を困惑させ「実情を知らない政府の言うことは信じない」と、不信感をたぎらせたと聞く。原発の運営を監督する原子力安全・保安院の検査官はいち早く安全な所に避難した。「不便が多かったため」と釈明したそうだ。「縁なき衆生」と言うほかない。

富士山噴火の降灰地域をつぶさに検分し、神になった幕府役人の誠実な姿を思い浮かべてしまう。