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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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問われる「生き方」思いやりと希望を

2011年3月24日付 中外日報(社説)

東日本大震災による東京電力福島第一原発の空前の事故は、この国全体に大きな課題を突き付けた。

一つは巨大技術を過信することの恐ろしさと、そのような技術に乗って利潤を追求する企業社会の問題点であり、もう一つは、それらに疑問を持ちつつも便利で快適な暮らしを求めて膨大な量のエネルギーを使い、意識するしないにかかわらず欲望に流れやすい私たちの生き方の問題だ。

放射能と電気という、共に目に見えない「魔物」の姿でのしかかるそれは、この社会における人間存在のあり方を問うている。

目を覆う原発の最悪の事態について東電や関係者の記者会見での対応は、企業倫理以前のレベルだった。

情報開示の不充分さもさることながら、例えば圧力抑制室などの設備がガタガタになり一刻を争う状況で、破損の「恐れ」どころか「何らかの異常」「可能性」との言を繰り返し、爆発的衝撃が起きても「異音」と、作業員が緊急避難するのを「移動」と言い募る。この期に及んでなお危険なイメージを避けようとする企業の意図、姿勢が露呈した。

そこには、「想像力」が欠けている。事故が起きればこのように甚大な被害を出すのだということへの想像力。この地震で海面が盛り上がるのを見て、「津波の可能性が」ではなく「危ない、逃げろ」と叫んで助け合いながら避難した住民たちが、被災しながらも周りの人々の命を気遣う、そのような想像力だ。それを「思いやり」という。

「想定外の災害」というが、報道によれば今回の地震の同原発での揺れは600ガルという想定を下回ったのに、原子炉冷却装置につながる送電鉄塔が倒壊した。設備を破壊した津波は、明治三陸地震で20メートル台以上の津波が各地で記録されているのに、同原発の想定は「6メートルなら安全」だった。

この沸騰水型原子炉のタイプは、四十年前に米国の専門家が水素爆発すれば格納容器が損傷しやすい弱点を警告した。が、加圧水型より設備が小さく建設費が安いことが利点とされた。

東電のホームページには震災後もなお、「考えられる最大の地震も考慮して設計しています」とのPRが掲載されている。

放射線の恐怖にさらされた被災者。屋内退避で悲惨な生活を余儀なくされ、重病人までもが遠距離避難を強いられた。危険情報で救援物資の運搬に支障が起き、そして現場では下請け作業員や消防士らが被ばくしながら、文字通り命を懸けて制圧作業を続けた。

これまで「安全神話」を振りまいてきた経営陣や業界団体は、安全な都会に身を置き、これをどのように受け止めているのだろう。

一方で、供給ダウンで計画停電が実施され、首都圏まで含めた市民生活に深刻な影響が広がり、日本経済全体が打撃を受けた。

「非常時なので」「被災地への支援のためにも」と「節電」が広がったのは結構ではあるが、企業だけでなく大多数の国民が電気などのエネルギーを大量消費する社会の陥穽を、そこに危険性や脆弱性を感じながらも「安住」してきた自らの生き方というものを、改めて考えることになった。

物資不足を前に買い占めの動きもある一方、被災地では少ない食料や毛布を譲り合うなど互いを思いやり、痛みを共有する姿が見られる。それは全国に広がり、各地で支援の輪が拡大している。そんな思いを受けた被災者らも、地震数日後からネット上で励ましの言葉を交わしている。

「M9、世界最大級。じゃ、復興のエネルギーも愛も世界最大級にしなくちゃ」「父が福島原発の応援に派遣されます。半年後定年を迎える父が自ら志願したと聞き、私は誇りに思います」。そして、「暗すぎて今まで見たことないくらい星が綺麗だよ。みんな、上を向くんだ」。

この震災の直前、日本はGDPで世界第二位の地位を中国に追い抜かれた。しかし決してそれは不幸、マイナスだけではない。

今、第一に重要なのは震災犠牲者の追悼、被災者への支援と早期復興だ。そして、「この際だから」ではなくこれを機に、ひたすら利を追い求める生活のあり方を、企業活動など経済構造、社会の仕組みまでも含め、根本的に変革することが必要ではないか。

そこに、人間性の本質に迫る宗教は力を発揮することができる。「足るを知る」などという言葉だけではなく、暗闇の世の中全体を照らす希望の「光」として。