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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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原発建設免れた故郷の海を思う

2011年3月19日付 中外日報(社説)

個人的な体験から書かせていただく。

「この船に乗れよ」と年長のいとこに誘われた。約二十年前、高知県の漁村へ帰郷した時のことである。小さな漁船は、二十分ほどで切り立った崖の下の深い淵へ着いた。隣村との境界の海面には、青黒い水が揺れている。これこそ、黒潮の色だ。

「電力会社が原発を作ろうとしているのは、この場所だ。魚の宝庫の海を土砂で埋め立てる。いったん建設したら、この自然は取り戻せない。だから、われわれ漁民は反対運動を続けているのだ」

郷里の村は、内陸部の町と広域合併した。町長も、町議会議員の大多数も、内陸部から選出されている。電力会社から協力金を受け取れば、町の財政は豊かになる。だから原発建設に前向き気配だという。

「町の幹部は、めったに海岸部へ足を運ばない。海で生きてきた漁民の心が分からない」

幸いなことに、故郷の海が無粋な埋め立て地になることは避けられた。バブル崩壊で電力需要が低下し、原発新設のメリットがなくなったためらしい。

同じころ、小学校のクラス会に出たことがある。別の電力会社の幹部をしている友人が、原発の必要性を強調していた。「原発は安全だ。事故は起こらない。だが原発を作ろうとすると必ず反対運動が起こるから困る」と。

「それなら電力会社の本社所在地に原発を作ったらどうなんだ」の声が出る。すると友人は、哀れむようなまなざしで周囲を見回しながら言った。「これだから素人は困る。物事には、ルールがあるんだよな」。どんなルールがあるのか、明らかにされないまま、論議は終わった。

さて、今回の「平成23年東北地方太平洋沖地震」を多くのマスコミは「東日本大震災」と呼んでいる。地震の規模を示す数字は、M8・8からM9・0に"格上げ"された。観測史上国内最大、世界でも最大級の地震である。

死者、行方不明者の数字が日を追うて増加するのは痛ましいことだが、それとともに原発の建屋が爆発する事故が相次いだ。冷却装置が作動しなくなり、炉心溶融状態を引き起こした。地震や津波の恐怖冷めやらぬ住民が、避難を余儀なくされた。二重の衝撃といえるだろう。クラス会で、電力会社の友人が「物事にはルールがある」と言ったのは、こうした事態を予想していたのか。

筆者は終戦直後、ある会社の入社試験で「TVA」を知らずに恥をかいたことがある。TVAとは、米国のテネシー渓谷開発公社のことで、テネシー州に貯水ダムを建設し、それによって水力発電を進めるとともに、雇用の増大を実現するというものだった。敗戦後の日本ではこれを模範として、ダム建設を推進しようとの機運が高まった。

確かにダム建設は、日本経済復興の呼び水的役割を果たした。しかし、大きなダムは山村の集落を幾つも水没させてしまう。墳墓の地を守れとの反対運動が起こる。さらには、場所によってはすぐにダム湖が土砂に埋まり、貯水量が激減することもある。年月と共に、ダム見直しの動きが高まってきた。

水力に代わり火力発電が盛んになったが、排煙で公害が広がることが多い。原子力発電こそ、発電量を増やすカギとされた。

だが原発も、チェルノブイリやスリーマイル島の事故などを引き起こした。理想的な環境を保てば、事故は起こりにくいだろうが、M9・0の大地震となれば絶対安全とは言えないことを露呈した。

この世はうつろい易く、絶対安全ということはあり得ない、が諸宗教の説く真理ではなかったか。東日本大震災のニュースに接しながら、二十年前に故郷で見た青黒い海の色が、しきりに思い出される。