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判決が出るまでなぜ待てないか

2011年2月22日付 中外日報(社説)

大学の英語の講義で、ディケンズの『二都物語』を読まされたことがある。フランス革命(一七八九年)前後のパリとロンドンを舞台にした小説であった。革命の波乱に巻き込まれたフランスの知人を救うため、英国の人々が努力するという内容であった。

印象的だったのは「フランスでは人民が、起訴さえもされずに投獄される」という言葉が使われていたことだ。裁判制度が確立されていた英国では、起訴されて法廷で弁明する機会が与えられている。判決が出るまで「疑わしきはシロ」の原則が貫かれる。「起訴される」機会を持つことが基本的人権の一つという民主主義の原則を『二都物語』から教えられた。

さて、昭和三十年代前半の広島県議会は、定数六十議席のうち、自民党が四十議席を占めていた。絶対多数である。ところが県議会の運営は、自民党の意のままにならなかった。反主流派の十四人が社会党や諸派と組んで、主流派の長老議員に対抗したからだ。主流派の二十六人だけでは、ヘゲモニーは握れない。混乱は約二年続いた。

収拾に動いたのは、主流派のA議員である。自民党の公認を受けて当選した者は挙党一致、有権者の期待に応えるべきだと、中国の古典に記された「任侠」の精神や、儒教の『論語』の言葉などを引用して、主流・反主流の両派を説得した。議員歴の浅いA氏が正論を述べたのが幸いして、両派は歩み寄り、党としての結束を取り戻した。

ところで最近の政界は、民主党の小沢一郎元代表の政治資金問題で揺れ動いている。小沢氏をめぐる政治資金の金額が、理解し難いほど多過ぎると感じる人は少なくない。強制起訴は当然、という声も高い。

だが逆に、強制起訴は小沢氏にとって、自己の正しいことを証明する機会でもある。判決が出て確定するまでは、小沢氏は「推定シロ」のはずである。それが民主主義の原則だ。

けれども政界では、強制起訴が行なわれただけで、野党だけでなく与党・民主党までが小沢氏をクロ扱いしているように見える。証人喚問せよとか、党員資格を停止すべきだとか、論争の声がかまびすしい。特に民主党では、挙党一致どころか、小沢氏のクロまたは灰色を前提に論議し、分派的行動も起こっている。かつての広島県議会の自民党のようだ。

二月十日付本欄で紹介したNHKラジオ「新聞を読んで」の番組で、早稲田大学教授(憲法学)の水島朝穂氏は、小沢氏問題をめぐる各紙の論調を、要旨次のように伝えていた。水島氏は、東京発行の全国紙だけでなく、主要地方紙三十八紙の社説もネット検索で読んだという。

水島氏によると、全国紙の社説の「政治的にけじめをつける時だ」とか「市民の判断(による強制起訴)に意義がある」をはじめ、各紙横並びで小沢氏を批判するトーンが強かった。その中で、検察審査会による「強制起訴」の仕組みに疑問を投げ掛けたのは『信濃毎日新聞』と『琉球新報』の二紙だけだった。

特に『琉球新報』社説は「検察審査会の在り方には首をかしげたくなる点が少なくない。『疑わしきは罰せず』でなく『疑わしきは法廷へ』という図式になりかねない」と指摘する。また「大衆迎合主義が横行して、裁かれなくてもいい人まで被告人にされたのではたまらない」とも主張していたという。

水島氏が紹介したこの社説は、裁かれなくてもいい中央官庁の元局長が、一年余にわたり裁判に縛り付けられた前例があった直後だけに、注目させられる。しかし早朝のラジオ番組の影響力が限定的なのか、各紙の姿勢に変化はない。気掛かりなことである。

本稿には政治的な意図はない。民主主義の原点の見直しを提唱するものであることを付記する。