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「殺処分」三字に万の足音を聞く

2011年2月17日付 中外日報(社説)

約四十年前である。高知県西部のリアス式海岸沿いの小さな漁村に、中学校があった。転勤して日の浅い教師が授業を始めようとしたところ、生徒たちから歓声が上がり、授業どころではなくなった。

教室の窓からは、海へ突き出した岬が見える。その岬の先端の高台に、魚群を探る見張り所がある。そこに大漁を知らせる旗が翻ったのだ。沖の船団から合図があったらしい。旗の色や数によって、漁獲量が分かる仕組みになっている。中学生も小学生も、母親と一緒に浜へ出て、魚運びを手伝わねばならない。教室の歓声は続いた。漁業に生きる村の実態を、この時初めて知ったと、その教師は語っていた。

当時の高知県では、冬から春にかけて浦ごとに船団を組み、前夜から沖合に網を張った。寒中には、一尾二貫(七・五キロ)もある大きなブリがかかる。漁民たちはブリを一本、二本と数え、浦ごとに漁獲の数を競い合った。しかしやがて、魚群の回遊量が激減した。黒潮の流れが変化したのかもしれない。

漁民たちはブリ漁の時期に、北陸の沿岸へ出稼ぎするようになった。家族ぐるみの移住者も相次ぎ、高知県の漁村は寂れた。人口の減少に伴って、中学校は隣接校に統合された。この冬、北陸のブリ漁は記録的な豊漁だという報道を、残された高齢の村民は、複雑な思いで聞いた。

前述のようにブリは、一本、二本と数えられた。海の中という別世界の生き物だから、漁民にはブリの命をいとおしむ思いが薄かったのではないか。しかし、一つの浦で千本、二千本の漁獲でも、県全体では万単位になる。それが冬から春へ、三ヵ月近くも続くのだから、おびただしい数に上る。

動物や植物の命を頂いて生きるのが人間の宿命ではあるが、宗教的に考えると罪深いことだ。詩人・金子みすゞが見たら、さぞ心を痛めたことだろう。

その点で昨年、宮崎県を中心に広がった口蹄疫騒ぎでは、家族のように育てた牛をはじめ豚、水牛などが犠牲になっただけに、悲しみもひとしおだった。殺処分が二十八万頭にも達したから、大変なことだ。昨年十月の読売新聞短歌欄には「埋められし何十万の牛のこゑ足裏に聞き日向を旅ゆく」=国定義明=が寄せられた。ほかの新聞にも、同様な作品があった。

また京都発行の歌誌『柴折戸』などには「口蹄疫にゆれる故里牛飼ひも獣医も共に学びし友よ」「草原に牛は遊ばず地下深くしめやかにゆく万の足音」「口蹄疫を免れたる牛が売られゆく競り市の朝啼きかはしつつ」=中尾町子=が発表された。

中尾さんは母方の郷里が宮崎県と接する大分県で、そこで幼時を過ごした。学校友達の中には、県境を越えて宮崎県の酪農家に嫁いだ女性もいれば、獣医として宮崎県へ派遣された男性もいる。新聞やテレビでは「殺処分」の三字で済まされるが、当事者としてはその一頭一頭に、身を削られる思いがしたに違いないと思いを寄せる。

そしてこの冬、数年ぶりに各地の養鶏場を、鳥インフルエンザが襲った。渡り鳥が病原菌を運び、感染した野鳥が養鶏場に入り込んだらしい。最初は山陰での感染が報じられたが、やがて主たる被害地は宮崎県になった。このたびも拡散を防ぐための殺処分が繰り返されている。短歌欄ではまだあまり見かけないが、朝日新聞の川柳欄には「気の毒にウシ、トリ、噴火と一手受け」=伯野幸次=「ニワトリがかわいそう祖母おろおろし」=芳垣悌二郎=などが登場した。

しかし正直言って、昨年の口蹄疫のショックが大き過ぎたためか、社会の一部では「殺処分」の三字への感覚がマヒしかけた感じもないではない。「いのちの尊さ」への教化が望まれるところだ。(敬称略)