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八百長の土俵を神事と言えるか

2011年2月10日付 中外日報(社説)

約半世紀前、大相撲に松登という大関がいた。激しくぶつかって相手を土俵の外に突き出すという豪快な取り口で昇進したが、時には勢い余って自ら土俵を飛び出すこともあり、負けっぷりの良さでも人気を集めた。白黒テレビが普及し始めた時代だ。

昭和三十年九月場所に十三勝二敗で準優勝、初代若ノ花と共に大関に推挙された。だがその直後に足を痛め、大関在位中は九十九勝百二敗と不振だった。良くて九勝止まりの松登は、クンロク(九勝六敗)大関とも呼ばれた。そして二度目のかど番の昭和三十三年十一月場所、七勝七敗で迎えた千秋楽に若ノ花に敗れて大関の座を失い、三年後に引退した。

引退の弁は「オレの星取表を見れば、大相撲に八百長のないことが分かるだろう」だった。突進型の力士だから、八百長のしようもなかっただろう。

しかし「八百長がない」というのは、裏返せば八百長の存在を暗示することにもなる。松登時代から約二十年前、ある雑誌にこんな裏話が掲載された。

「昭和十五年の五月場所で、東北出身の平幕力士が九州出身の三役に『星を譲ろうか』と持ち掛けた。三役は、まさか自分が負けるはずはないと確信し、取引に応じなかった。発奮した平幕力士はその三役から初の勝ち星を挙げた。その結果三役力士は、優勝争いから脱落した」

スポーツ専門の雑誌ではなかったと記憶するが、当時の社会は八百長の存在にあまり目くじらを立てていなかったようだ。

先述の松登にしても、前半戦で平幕相手に取りこぼしの多かった場所の後半戦では、すでに星勘定のほぼ固まった三役が、松登戦で明らかに力を抜くことがあった。テレビの画面から、それとなく分かった。

最近の大相撲の八百長追及では、特にある週刊誌が熱心だった。その記事によると、番付下位の力士が中盆(仲介役)として星の売買をあっせんする。物陰のささやきで話をまとめ、翌日は現金入りの封筒を「これは○○関の分」と言って配り歩く。まるでその場を見るような筆致でつづられていた。

これに対して日本相撲協会は、事実無根として提訴した。法廷で「八百長をやりました」と証言する者はいないから、週刊誌側は敗訴する。だが今回の八百長表面化で、過去の裁判結果が社会的に問い直されるかもしれない。

相撲協会の放駒理事長は「金銭授受を伴う八百長は今回明らかになったのが初めて。過去には絶対なかった」と言う。理事長の立場としては、それが当然であろう。しかし昨今は、ケータイが普及している。当事者同士が物陰で額を寄せ合わなくても、話が通じるようになった。譲った星の代金は、中盆が現金を配り歩かなくても、銀行口座へ振り込めばよい。「過去にはなかった」と言い切れるかどうか。

NHKラジオの「新聞を読んで」の番組では、早稲田大学の水島朝穂教授が、今回の問題について要旨次の指摘をしていた。「八百長が表面化したのは、昨年の一部力士の野球賭博問題を捜査した警視庁が、力士間のケータイ通信記録を復元した際、星の売買を示唆する言葉を発見したからという。八百長は刑事事件として立件できないため、相撲協会を所管する文部科学省に連絡した。役所同士で個人情報が授受されることが許されるかどうか。この問題を論じた新聞はごく一部だった」と。鋭い指摘ではあるまいか。

また、女性の大臣や知事が優勝力士表彰のため土俵に上がることを望んだ時、協会側は「土俵は神事の場であるから」と女人禁制を貫いてきた。だが金銭で星が売買される大相撲が神事と言えるだろうか。当面、本場所も地方巡業も自粛するという相撲協会には、この点も再考してほしい。