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誰もがパソコン使えると限らぬ

2011年1月22日付 中外日報(社説)

「今期(四月まで)限りで退任する」と表明した秋葉忠利・広島市長は、報道陣から、真意を聞くための記者会見やインタビューの申し入れを、すべて拒否した。「言いたいことは動画投稿サイトのユーチューブに投稿したから、詳細を知りたければ、それを見てほしい」と、市役所広報部を通じて答えた。

被爆都市の市長として、原爆記念日の平和宣言の中で「二〇二〇年までに核廃絶を」「日本は核のカサから離脱を」などと提唱、さらにはオバマ米大統領の広島訪問を求め、オリンピック誘致を宣言するなど、注目されていただけに、退任表明の波紋は大きい。その秋葉氏が、なぜインターネットにこだわるのか。

昨年秋の、尖閣諸島沖事件の画像がユーチューブに流れたのは、一人の海上保安官の投稿によるものだった。続いて警視庁公安部の国際テロ情報に関する文書が、インターネットに掲載された。内部から流出した疑いが濃いという。

海と陸の治安を守る役所から、極秘扱いの情報がいとも簡単に"公開"されたことに驚いていたら、さらにスケールの大きい事件が伝えられた。米国の外交機密公電の内容約二万五千件が、ウィキリークスに流出していた。米陸軍の下士官が持ち出した疑いが濃いと伝えられている。米国の外交官が"友好国"の要人を口を極めて批判した文書もあるとか。

腕利きの新聞記者が探ろうとしても入手し難い重要な情報が、インターネットを検索すれば、容易に入手できる場合もあるわけだ。ジャーナリズムへの影響は小さくない。今年の新年紙面の特集で、ある大新聞の幹部は「報道の姿勢を考え直すべきだ」と告白した。"紙の新聞"の存在価値が揺らいでいる。

そこへ秋葉市長の退陣表明である。市長はなぜ記者会見を拒否したのか。朝日新聞が伝える藤田博之・広島市議会議長の見解は「マスコミを通じると、意思が正確に伝わらないという思いがあったのではないか」である。

新聞も、テレビのニュース番組でも、記者会見の内容を全文伝えることは、めったにない。要点だけが報じられる。発信者としては全文を伝えたい。だからユーチューブで、ということなのか。

秋葉市長のユーチューブ発言は、全部で十五分近いという。新聞に掲載すれば三分の一ページ程度のスペースが必要ではないか。新聞を読む時間が一日に十分とか十五分という人が多い今、長文の発言内容がどれだけ読まれるか、という意見もあろう。

もう一つ、新しい通信手段に通じた人は、その手段が誰にも通じると考えがちだ。パソコンを持たない人が、知人からDVDを贈られて、途方に暮れることもある。ユーチューブにアクセスするなど、ヨソの世界の話のようだと感じることも……。だが秋葉氏は一部の記者に「インターネットを使うのは今は常識だ」と語ったという。

産経新聞は、秋葉市長は「ネットを見られない市民への説明責任を果たしていない」との市民の批判を伝え、読売新聞の「編集手帳」は「動画であれば(市長は)耳の痛い質問を受けずに済む」と論評する。

作家・若一光司さんは毎日新聞紙上で「市長は会見しない理由を説明する必要がある。一方で多様なメディアがある中で既存メディアも報道の仕方を再考する時期だ」と述べる。

今は亡き作家・司馬遼太郎氏は西本願寺の僧侶に「中央市場の符丁(仏教界の専門用語)で語っても信者には理解されない」との戒めの言葉を残した。その司馬氏が今の世にあれば「中央市場のセリの仕方では、小売店の品物は売れない」と言うのではないか。中央市場の商法が通じる相手にも、そうでない相手にも、情報を公平に流す方法を考える時代であろう。