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喜捨の意味するもの

2011年1月20日付 中外日報(社説)

漫画「タイガーマスク」の主人公「伊達直人」の名で全国各地の児童福祉施設にランドセルなどの贈り物が届き話題になっている。ある世代にとって懐かしい漫画の主人公が引き合いに出されたことへのノスタルジーもあるのだろうか。テレビのワイドショーなどでも盛んに取り上げられ、これに刺激されたのか、匿名の寄付が相次いでいる、という。

「無縁社会」といわれ、孤独死や超高齢者の所在不明が象徴するように人と人のつながりの希薄化が急速に進む今、珍しく明るく夢のある話題で、マスメディアが積極的に取り上げるのも当然のことかもしれない。

広範な関心を引くような形ではなかなか紹介されない福祉施設の現状に多少なりとも光が当てられたり、社会福祉のあり方、市民としてのかかわり方を多くの人に考えさせる機会を与えてくれるのも大いに歓迎すべきことだ。

ただ、こうしたささやかな善意が、同じような形で全国に広がり、特殊な話題になってゆくのを見る時、これらの事象が当事者の思いとは別に、今の社会の現状を浮き彫りにしているのでは、とも感じさせられる。

特に考えざるを得ないのは公共へのかかわり方の一つとしての「寄付」の問題だ。今回の一連の出来事をきっかけに、日本には寄付文化が根付いていないといった指摘も行なわれ、寄付控除の制度なども取り上げられている。確かに寄付の慣習が社会に定着していれば、「伊達直人」もこれほど話題にはならなかっただろう。

しかし、近年、「民の担う公共」などの概念のもと、寄付文化の成長を促進する動きも多少強まりつつある。寄付という行為のみにとどまらず、そもそも日本の社会を根底で支えているのは市民の公共意識だ。その自覚をさらに促すことになれば、全国の多くの「伊達直人」さんたちの思いも充分に生かされることになるのではないか。

ところで寄付の文化的伝統といえば、イオンの葬祭業進出等で問題となった布施は喜捨、寄付そのものであることは今更言うまでもない。

欧米の寄付文化の中で宗教への寄付、宗教を通じての寄付は大きな位置を占める。日本でも檀信徒による布施が寺院などの宗教活動を支えているのはこれと同じだ。しかし、伽藍の修理など特定の目的を明示した篤志の寄付以外は、日常、寄付・喜捨として意義があまり深く意識されることはないのではないか。

一方で、ヨーロッパには国が教会に代わって信者から源泉徴収する教会税の制度が残っている国がある。ドイツでは教会税をめぐる訴訟があり、支払いを拒む信者の主張が認められて、この制度が揺らいでいることが本紙でも報道された(二十一年九月三日付)。たとえ教会に自由意思で所属することが前提としても、国を通じて教会に再配分される教会税はやはり寄付というより"税金"というべきだろう。

寺の存在を維持する檀家制度のある日本も、教会税のような制度と比較するなら、お布施は自由な意思に基づく寄付であることはよりはっきりするだろう。だが、果たしてこれを受ける側でそれが深く意識されているのか。「伊達直人」の贈り物の話題に接し、あらためてそのことを考えざるを得ない。

布施を寄付と意識して受け、喜捨する人の善意を生かすよう望ましい形で宗教活動のために用いることができているかどうか。社会がそれを肯定的に見ていれば、イオンのお布施定価表示のようなばかげたこともたぶん起こらなかっただろう。