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いじめに負けず怒りをぶつけた

2010年12月11日付 中外日報(社説)

「担任教師の無能、学校側の指導力の不足、同級生の親たちの心遣いの貧しさが図らずも浮かび上がった」と作家の曽野綾子さんが産経新聞に寄稿した。先ごろ各紙に報道された、群馬県桐生市の小学校での六年生女児の自殺事件への評論である。

いじめが原因で自殺、という痛ましい記事は、今年も何回か各紙に報じられたが、特に群馬県の例は、事前に両親から学校に知らされていながら悲劇が防げなかっただけに、世間の関心を集めた。

曽野さんの寄稿の直後、毎日新聞の読者投稿欄に二人の意見が並んで掲載された。まず川崎市の高橋敬吾さん。「学校は当初『いじめの認識はない』と言っていたが、その後いじめがあったと認めた。学校は『自殺は予測できず、直接的な原因は特定できなかった』と言う。いじめで精神的苦痛を感じていた、と判断しながら、自殺の原因と認めないのは無責任だ=要旨」と指摘する。

東京都の中田美智子さんは「いじめには定義があって、それに該当しなければいじめとは認められないということを知り、驚きと悲しみがこみ上げました。たとえ尊い命が失われなかったとしても、心は傷つくのです。これが教育の現場なのでしょうか=同」と記している。

その学級は一学期の終わりごろから、担任教諭がコントロールできない学級崩壊が続いていた(産経)と伝えられ、複雑な事情があったようだ。しかし一般読者の素朴な感情は、この投稿の通りだろう。

朝日新聞連載の「いま子どもたちは」シリーズは、児童や生徒たちの間では、ちょっとしたことがきっかけで感情がもつれたり、ほぐされたりする実例を紹介している。

仲良しの男女のペアだったのに、一対一で話すべきことを先にブログに発表したため、女生徒側から「しばらく距離を置きたい」と宣言された。一方、女生徒同士「トイレに行こう」と誘い、その途中でもめごとについて相談して、解決のきっかけをアドバイスされた、など。子どもの世界の心情は微妙である。

「赤い鳥文学賞」作家の長谷川摂子さんが『未来』誌に「いじめられっ子のひとり革命」と題して、要旨次のように寄稿していた。小学校のいじめグループが中学校に進んでからも長谷川さんを仲間に入れてくれない。長谷川さんは黙って耐えた。親友のSちゃんが忠告した。「どうして怒らないの。怒らないと馬鹿にされるだけだよ」

長谷川さんは、いじめグループを一人ずつ体育館の裏へ連れ出して詰問した。「なぜこんな態度をとったのか、理由を言いなさい。理由が言えなかったら、頭を下げて謝りなさい」。語気鋭く迫ると、誰も反論できなかった。

その日から、いじめグループの顔つきが変わった。「私は怒りのすばらしさに酔いしれた」と記す長谷川さんは、Sちゃんに、今も感謝している。

曽野さんも前記の寄稿に「人をいじめるような愚かな人々の犠牲になるのは、人生の敗北」と記す。

現代にも通用するかどうか、戦前、筆者の小学校時代のことである。三年生から六年生までの四年間、男子組の担任はTという先生だった。体操(体育)の時間に、運動神経の鈍い者は笑い者になった。いじめの一歩手前だ。

だが学年が進むにつれてクラスの雰囲気が変わってきた。跳び箱が跳べない、逆上がりができない子が、努力に努力を重ねてできるようになると、全員が拍手をする。平素T先生が何事についても「よくがんばったな」と評価する言葉が感化を与えていた。

独りぼっちで給食を食べる子を見たら、教師は即座に行動を起こすべきだ。理由はどうあろうと、いじめによる自殺者を出すようでは教師の負けである。