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閉塞感が際立つ知事選後の沖縄

2010年12月4日付 中外日報(社説)

「弱き者はくじかれ、強き者がのさばる。そんな日本の政治の貧困ぶりが、その縮図となる沖縄からはよく見える」と、沖縄県知事選投開票日(先月二十八日)翌日の琉球新報社説が論じていた。

沖縄を苦しめる米軍基地問題に政治が何ら打開策を示すことができず、県民の不信と閉塞感が際立つ中での選挙だった。社説は沖縄のやり切れぬ思いを、乳幼児の保育所不足は改善されず、若者は職に就けず、高齢者は年金を奪われている、など国民全体を覆う深刻な生活不安と重ね合わせたものだ。無責任な政治がもたらす生活被害の最前線に置かれてこそ、込み上げる実感なのだろう。傾聴すべき論説だと思う。

報道されてきたように、この知事選の特徴は沖縄では最も切実な課題である普天間基地問題で有力二候補が「県外」「国外」への移設を主張し、争点がぼやけてしまったことにあった。再選された仲井真弘多知事は当初、同基地の辺野古移設を受け入れていたが選挙では「県外」に転じて訴えを経済開発にシフトし、対立候補の伊波洋一前宜野湾市長の「国外」公約と表面的には変わらなくなってしまった。つまり、それほど基地に対する県民の拒否感情が強いということだ。

そのため鳩山前政権が「最低でも県外」と打ち上げながら結局、住民の反対の強い辺野古に回帰した民主党は自前の候補を立てないなど「逃げ」に終始、政権担当時に辺野古案を決めた自民党なども党本部レベルで表に出ることはなかった。重要課題で事実上、選択肢を奪われた県民の虚脱感がかつてなく深まる中、民主党政権は選挙結果を受け辺野古移設の日米合意推進のため使い古された沖縄懐柔策である「地域振興」を持ち出し、知事に接近しようとしている。

既視感のある不毛な堂々巡りが繰り返されそうだが、以前と大きく異なるのは尖閣問題であからさまになった台頭する中国への強い警戒感に加えて、北朝鮮の韓国・延坪島砲撃事件が起こり、緊張感を一気に高めていることだ。一部で東アジアにおいて「新冷戦」時代に入ったとの論調さえ出始めている。そうした潮流が逆風になり、以前にも本欄で触れたことだが、検証不可能な軍事的「抑止力」について真剣に論議することなく本土で在沖縄米軍の必要性が強調される事態を危惧する。

しかし、沖縄の基地問題の本質は安全保障ではなく人権問題である。そのことをあらためて認識しておかねばならないと思う。その視点が政治もメディアも希薄すぎるのではないか。

国土の1%にも足りない土地に日本の米軍専用施設の四分の三が集中し、広大な基地と軍用機、兵員が引き起こす諸々の被害や経済発展への阻害など県民が日々接する基地公害は広範にわたる。朝鮮半島の有事に備え基地の動きが慌ただしくなっていると聞くが、それでなくとも過酷な現地の状況に本土が無関心なまま、国の安全保障を沖縄の米軍に依存して知らぬ顔を決め込んでいるかのような態度はとても公正といえるものではない。冒頭の社説は、その不平等、不公平さに対する県民の憤りを代弁したものだ。そんな沖縄の心に共感できなければ年間三万人を超える自死問題やお年寄りの孤独死、いわゆる無縁社会など人々の心身をむしばむ世のさまざまなひずみにまっとうに向き合えるものではなかろう。

沖縄でジャーナリズム活動をしている筆者のかつての同僚によると、過去に沖縄では基地に絡む経済的恩恵を自ら選択した側面があったとしても、それは表層的なものだ。現在も同様の色眼鏡で見ようとする言説は「本土世論の沖縄に対する共感を断とうとする意図的なプロパガンダで、説得力を失っている」と言う。知事選の結果で辺野古移設に期待を持つと、とんだ見立て違いになりそうだ。