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尸解仙のからくり

2010年11月30日付 中外日報(社説)

十一月十三日付本欄「二振りの剣の意味」の終わり近くに、「剣に肉体を託して登仙し、永遠の生を得るのだという尸解仙(しかいせん)なる考えもある」と記した。尸解仙とはどのようなものなのか。なじみも薄いことであろうから、少し説明を加えよう。

四世紀中国の葛洪(かっこう)が神仙道の諸相について縦横に論じている『抱朴子(ほうぼくし)』に、仙経からの次の引用がある。「上士(最上の人間)は形を挙げて虚(そら)に昇る(=体ごと昇天する)、之を天仙と謂う。中士(中位の人間)は名山に遊ぶ、之を地仙と謂う。下士(下位の人間)は先ず死して後に蛻(ぜい)す、之を尸解仙と謂う」(論仙篇)

中士の地仙については今ここでは問わぬこととして、「形を挙げて虚に昇る」という上士の天仙とは、例えば前漢の淮南王劉安(りゅうあん)について言い伝えられているところがそれである。すなわち、劉安は仙薬を服用し、自分はもとよりのこと、家族の者も、また飼っていた犬や鶏までもがもろともに白日に昇天した。白日とは真昼間のこと。

だがこのような天仙は、どうにも情理に合わぬのであろう。それ故、「先ず死して後に蛻す」とされる下士の仙去の尸解仙が、あれこれと論じられたのであった。「蛻」とは脱皮のこと。すなわち、傍目(はため)には通常一般と変わりのない死をひとまず遂げるのだが、しかしその死は、前世紀フランスの著名な道教学者のマスペロが言っているように「擬死」すなわち見せかけの死にすぎず、その上であたかも蝉の羽化や蛇の脱皮のごとく、抜け殻となった肉体を後に残して仙去するというのが尸解仙なのである。

尸解仙は下士の仙去のあり方であるとはいえ、誰しもがその可能性を備えているわけではない。生まれつきそれにふさわしい資質が賦与されていなければならない。そしてそのような資質を備えた者が、自らの肉体を肉体にあらざる他の何物かに託して尸解するのである。道教の百科全書と称すべき『雲笈七籤(うんきゅうしちせん)』の巻八五に次の言葉が引かれている。「凡そ尸解する者は皆な一物に寄せて而(しか)る後に去る。或いは刀、或いは剣、或いは竹、或いは杖……」

これらの中でも最上の尸解と考えられたのは、刀または剣に肉体を託すところの刀解ないし剣解であった。「真人(神仙)の宝剣を用いて以て尸解する者、蝉化(せんか)の上品なり」(『雲笈七籤』巻八四)。蝉化とは蝉のメタモルフォーゼ、つまり尸解のこと。また「仙法にて老いて得仙する者は尸解を上と為す。上尸解は刀を用い、下尸解は竹木を用う」(同巻八五)。

では刀ないし剣に肉体を託して、どのようにして仙去を遂げると考えられたのであろうか。『雲笈七籤』巻八四の剣解に関する記事によれば、そのからくりは次のごとくであった。

曲晨飛精(きょくしんひせい)なる丹薬で文字を書した剣を抱いて寝臥し、曲晨飛精につばきを混ぜた丸薬を服用した上、しかるべき呪文を唱える。呪文を唱え終わり、目を閉じて息を咽(の)むこと九十回、そこで目を開けると、たちまちにして太一の神が天馬をもって迎えにやって来るのが見えるであろう。

天馬にまたがって顧みると、抱いていた剣はもとの場所で自分の屍の姿に変わっている。そこで天空に踏み出せば、どこへ出掛けるのも自由自在。かたや屍の方は棺に納められると、再び剣の姿に戻り、もはや屍の形ではなくなるのである。

ともかく、尸解仙とはこのようなものであった。黄帝は喬山に葬られ、五百年後に喬山が崩れたが、墓室に屍はなく、ただ宝剣と赤色の●(くつ)が残されているだけであった(『列仙伝』)。●もやはり肉体を託すべき物の一つと考えられたのである。あるいはまた王子喬(おうしきょう)の墓が暴かれたところ、墓室に残されているのは一振りの剣だけ、手に取って眺めてみようとすると、その剣もたちまちにして天空に飛び去った(『真誥』巻一四)。

神仙の代表格とされる黄帝と王子喬。二人はいずれも剣に肉体を託して尸解仙となったというわけである。

●=潟からさんずい偏を取った右部分