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いのちを恐れよ―COP10を終えて

2010年11月6日付 中外日報(社説)

先ごろ閉幕した生物多様性条約第十回締約国会議(COP10)は、さまざまな生物資源をめぐる先進国と開発途上国との経済的利害の対立に終始した。

つまり環境問題への国際的協働より、本来は地球生態系に属する「生きもの」から得られる「利益」を、自国に囲い込もうとする意向と、好きなように使いたい勢力それぞれの「欲望の論理」が会議の根底にあったわけだ。

辛うじて関連会合で、遺伝子組み換え生物輸入で生態系に悪影響が発生した場合の補償請求制度などの合意をみたが、限定付きだった。一方、会議と時を同じくしてアメリカでは、遺伝子組み換えサケが食品医薬品局の承認に向かっているとの報道があった。

トウモロコシや大豆など組み換え作物は既に世界に流通してバイオ・メジャーに巨万の富をもたらしているが、動物のケースは初めて。成長速度が自然のサケの二倍で養殖効率が上がるというものだが、外界に逃げ出し環境に影響を与えないよう生殖能力をカットしているというところに、逆に「危うさ」も見える。

同様の遺伝子操作によるバイオテクノロジーでは、「糞の少ないブタ」などの組み換え家畜も研究されているが、このような技術を例えば商品化という経済価値を求める欲望が後押しすると、「いのち」の人工的操作に歯止めがかからなくなる恐れもある。

同時期にノーベル医学生理学賞の授賞が決定した体外受精の技術もそうだが、生命科学の人間への適用にも同じことがいえる。

不妊治療などはプラス面も大きい。だが、組み換えサケのような技術にヒトES細胞や人工生殖といったテクノロジーが組み合わされれば、「優秀な子孫」をオーダーメードでつくることもできる。現に外国では高知能指数の学者やスポーツ選手らの「優秀な精子」が市場で取引されており、これに将来、「クローン」技術が加わればと考えると、さらに危惧は深まる。

「成長が速く頭脳明晰で体力も優れた人間」の大量生産は、「幸福」なのだろうか。特に問題は「優秀なもの」を追求することは、常に「そうでないもの」を排除することとセットになっているという点だ。

一連の事態に「いのち」の重みの揺らぎを感じざるを得ない。「バイオポリティクス」の言葉通り、生命科学技術の規制は、もう世界的な政治課題なのだが、「いのち」への畏怖を通じ、欲望よりも「尊厳」を説くことは宗教に共通する重要な役割のはずだ。

カトリックはバチカンが何か問題が起きるたびに声明を出す。日本でも司教団が今世紀初頭にさまざまな生命倫理問題について詳しい見解をまとめ、冊子で発表した。アメリカでは、プロテスタントのエヴァンゲリカル(福音派)らが、生殖医療、終末期医療の双方を含めて活発な動きを見せている。向いている政治的方向性の是非はあるが、その発言力、行動力は政権にも影響を与えるほどだ。

いずれも、「聖書」を引いて、宗教的アイデンティティーを根拠にしているのが注目されるが、仏教には「少欲知足」という教えがある。これが、社会的問題で弱者に屈服を強いる論理として使われることはまったくナンセンスだが、「いのち」をめぐる技術の暴走をいさめることにつながることは期待されるだろう。

COP10では、漁業活動の調査管理をしてきた研究者らでつくる「日本水産学会」が、「GAMAN」(我慢)という概念を世界に広めよう、との意見を発信した。水産資源保護に向け、乱獲や海洋汚染を防止するために、「モッタイナイ」に続く国際的スローガンとしようというわけだ。

同団体もそうだが、民間団体、NGO(非政府機関)が国際会議で活躍するのはいまや常識となっている。デモンストレーションや展示、アピールの発表、参加者への教育プログラム実施など様態はさまざまで、国際平和問題では教派を超えた諸宗教NGOが既に実績を積んでいる。

根本的な「いのち」の論議が求められたこのたびの会議でも、主催国日本の宗教者たちが活動すべき場はあっただろう。「いのちの危機」に、「神仏をも恐れぬこと」と眉をひそめるだけではどうしようもない事態が到来しているのだ。