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アジアの文明と宗教 再認識推進は日本が

2010年9月18日付 中外日報(社説)

世界の勢力図が変化していることは如実に感じられる。

一九九〇年代はアメリカが「新世界秩序」の導き手であるかのように思われた。軍事的な一極集中により、アメリカ政府の意志は世界の世論を挙げて説得しようとしても、とても押しとどめ難いものに感じられた。だが、二〇〇〇年代のイラク戦争、二〇〇八年のリーマンショック、その後のヨーロッパの経済危機を通った現在の状況では、アメリカ合衆国やNATO(北大西洋条約機構)諸国が世界の覇権を握っているとは言いにくくなってきた情勢だ。

これら「西洋」とか「欧米」と呼ばれる地域が世界の政治的・経済的・軍事的リーダーであった時代はかなり長い。早く見積もれば大航海時代から、遅く見積もっても啓蒙主義、産業革命、国民国家の形成が進んだ十八世紀後半以来の数百年の間ということになろう。「近代」の全体に及ぶものだ。

二十世紀後半の冷戦時代は、NATO諸国にソ連や中国が対抗し、インドなどの非同盟諸国も力を増して、しばらく西洋一極集中は揺らぐかに見えた。しかし、冷戦体制の崩壊後は、短期間ながら西洋一極集中に後戻りしたようでもあった。

これは宗教の見方にも反映している。西洋といえば、プロテスタントとカトリック、つまりは西方キリスト教世界が支配的な地域だ。そこで、西方キリスト教こそが世界の宗教を代表し、宗教の到達すべき究極の姿であるかのように考える思想パターンが広まった。

イスラームやユダヤ教は個人主義や普遍主義が徹底していないので、キリスト教より劣ると考えられた。神道やヒンドゥー教も普遍主義的な宗教より一段劣った民族宗教だと見なされた。近代的な宗教観はあらましこうした序列化の特徴を持っている。

仏教もキリスト教に似ているからこそ優れた宗教だと考える傾向があった。日本の仏教は特に西洋のキリスト教に似ていると論じる人が少なくなかったのは興味深いことだ。

鎌倉仏教運動は西洋の宗教改革に当たるもので、だから新仏教諸宗は優れているのだという見方はすでに明治時代に提示されたが、鈴木大拙や和辻哲郎や丸山眞男や中村元のような二十世紀日本の優れた宗教・思想研究者もこぞってその考え方に従った。日本の浄土教や禅宗の中にこそ、仏教の、とりわけ大乗仏教の精髄があるという考えが形作られ、今も通用している。近代主義的な仏教理解、西方キリスト教に強く影響された仏教理解だ。

だが、現代人は西洋中心主義的な歴史や宗教の見方を改めつつある。西洋の文明が優れていたからこそ、西洋は近代世界の覇権を握ったのだという考え方、また、他の諸文明が近代化に遅れたのは、何か根本的な欠陥があるからだという考え方は受け入れにくくなっている。

当然、宗教の見方も変わらざるを得ない。西方キリスト教こそ世界の宗教を代表するとか、鎌倉仏教こそ仏教の精髄だというような考え方は過去のものになりつつある。

では、それに代わって、現代日本人は宗教についてどのような新しい見方を展開しようとしているのだろうか。鋭敏に察知すべき時だ。日本の宗教集団や社会諸方面のリーダーたちは、現代世界の文明観や宗教観の転換をどこまで切実に認識しているのだろうか。だが、この点は、はなはだ心もとないと言わなければならない。

一つの有力な打開策は、アジア諸国との文化的交流を深め、アジアと日本の文明について、またその宗教的基盤についての認識を深めることである。アジアの文明の豊かさを再認識し、それをアジア諸国で共有していくべき時であり、日本はその企ての推進役となり得る国だ。

文明の基礎に根を下ろした知的資源を開発しよう。それこそ、長期にわたって日本の活力を下支えするものとなるはずである。