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北海道の寺から届けられた梵鐘

2010年9月14日付 中外日報(社説)

自坊に梵鐘がなく、心寂しい思いをしているA住職に、北海道南部の寺のB住職から声が掛かった。「私の寺に、使っていない鐘があります。まだ新しい。よろしければ、差し上げますよ」と。

A住職は喜んだ。「願ってもない話だ。本堂はやっと建てたが、檀家数からみて、梵鐘までは無理と思っていた。鐘を頂けるなら、ひと踏ん張りして鐘楼を建てたい。年内に完成すれば大みそかには、この村で初めての除夜の鐘が鳴り響くだろう」

「夕焼け小焼け」の童謡にあるように「山のお寺」の暮れ六ツの鐘は、日本人の郷愁をそそる音だ。その寺々の鐘の多くは戦時中、兵器を造る材料として供出させられた。戦後何十年もたってから、その代わりの鐘をようやく鋳造することができた、という美談を何度も聞いた。

「除夜の鐘を撞(つ)きたくても撞けなかった時代を思えば、あだやおろそかな心で鐘楼へ上がることはできない」と言う住職。以前に保育園を経営していた寺に、進学し成人したかつての園児が、その子どもを連れて撞きに来る。「寺族としての喜びを感じます」と語る坊守。

「私どもは小さな寺ですが、大みそかになると、檀家以外の方も除夜の鐘を撞きに来てくださいます。年に一度しかお目に掛かれませんが、五回、十回と重なりますと、今年もお元気な姿に出会えてよかったという思いに満たされます。これが御縁というものでしょうね」と、ある寺庭。

しかし、それらの思いがすべての除夜の鐘ファンに理解されているとは言い難い。ある住職が、大みそかに張り紙をした。「近く鐘楼を建て替えます。お志のある方は、お申し出ください」。だが"御報謝"の申し出はほとんどなかった。鐘を撞いた後、初詣でをする神社では、求められなくても誰もがお賽銭をあげるのに……。

そうした"除夜の鐘"事情は、平成十八年一月十九日・二月十八日付の本欄でお伝えした。

ところで、道南のB住職の寺に、なぜ使われていない鐘があったのか。牧場で競走馬を育てているある馬主が「鐘の音を聞かせたら速く走れるようになるかもしれない」と思い込み、梵鐘を注文した。あるいは、誰かのお告げを信じたのかもしれない。しかし馬の耳になんとやら、はかばかしい効果はなかった。そこで馬主は、牧場の周辺の鐘楼のない寺々に「鐘を寄進しましょうか」と持ち掛けたが、どの寺からも謝絶された。そこでやむなく、顔見知りのB住職に、鐘の保管を頼んでいた。その鐘がA住職の寺で活用されることになった。

ではなぜ、北海道の住職たちが梵鐘を欲しがらないのか。道東の寺のC住職が解説してくれた。一つは、北海道の寺の多くが明治・大正以後の開基で、鐘楼が不可欠というほど寺檀関係が成熟していない場合がある。もう一つは、北海道の冬が厳しいこと。境内が雪で埋まり、凍り付く季節には、明け六ツ、暮れ六ツのたびに鐘楼に上がるのが困難な日が続く。

C住職は言う。「冬に鐘を撞く時は、あらかじめ火を焚(た)いて鐘全体を温めます。冷え切った状態で撞くと音色がさえないし、ヒビの生じる恐れもあるからです。夏だけ撞いて冬は休むというわけにもまいりませんし……」。土地によって、それぞれの事情があるわけだ。

温暖な地方にあるA住職の寺では、今年の大みそかに除夜の鐘が鳴り響くことだろう。その時にA住職にお願いしたいのは、同じ日本の中に、まず焚き火をして温めてからでないと除夜の鐘が撞けない地方もあることを、集まった人々に充分に教化していただきたいということだ。その鐘のもとで年を越すことのできるありがたさを体感する機縁となるだろうから。