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"巣鴨の念珠"は定価十銭だった

2010年9月9日付 中外日報(社説)

平成十九年四月二十六日付の本欄で、京都府与謝野町在住の宮本正二さんが比国・モンテンルパの獄舎で過ごした日々のことをお伝えした。宮本さんは陸軍歩兵部隊の下士官(憲兵)だったが、比国住民十一人の殺害にかかわったとして敗戦後、C級戦犯として裁きを受け、昭和二十三年八月十三日、現地の軍事法廷で死刑の判決を受けた。身に覚えのないことだが"真犯人"と同じ軍曹の階級章を着けていたため見誤られたのかもしれない。

二年半後、十四人が処刑された。続いて三人……。いつ自分の番が来るかもしれない。宮本さんらは心の安らぎを求めて、次々にカトリックの洗礼を受けた。比国はカトリックの盛んな国で、修道会からフランス人の修道女がたびたび訪れていた。

それより少し前には、日本で長く宣教に当たったセブンスデー・アドベンチスト教団のネルソンという牧師が慰問に来て、死刑囚全員に日本語の聖書を贈ってくれた。活字に飢えていた宮本さんらは、むさぼるように聖書を読んだ。そのことが、洗礼を受ける伏線となったようだ。

「受洗後に、高野山真言宗の加賀尾秀忍(のちに僧忍)大僧正が来てくれた。戦犯から"モンテンルパの父"と呼ばれた人だ。もう少し早く加賀尾先生とお会いしていたら、受洗とは別の選択をしていたかもしれない」と宮本さんは言う。加賀尾氏の来訪が遅れたのは、当時は日本人の海外渡航が思うに任せなかったためではないか。宮本さんはその後、キリノ大統領の特赦で助命、帰国することができた。修道女らの話ではすでに宮本さんの処刑日が内定していたとか。間一髪の命拾いだった。

八月五日付から十日付にかけての中外日報連載「終わらない戦後」では、東京の極東国際軍事裁判と宗教のかかわりの一側面が浮き彫りにされた。連合国が日本の"A級戦犯"二十八人を被告としたこの法廷は、昭和二十一年五月三日に開廷、同二十三年十一月十二日判決。七人の死刑囚は同年十二月二十三日に処刑された。仏教者として教誨師を務めたのが、浄土真宗僧侶で、東大教授だった花山信勝氏だ。

七人の筆頭はもちろん、開戦時の責任者、東条英機元首相である。元首相は、軍人として神道を奉じていたが、東京・巣鴨の獄舎で花山氏と接するようになってからは、正信偈と浄土三部経によって、仏道に目覚めた。その経過を花山氏は三十三年後の昭和五十六年十二月、筆者に詳しく語ってくれた。

元首相が花山氏の法話を聞く場には、必ず米軍のMP(憲兵)が同席した。脱走や自殺を防ぐため、片手錠をはめたままである。元首相が合掌するために手を上げると、手錠で結ばれたMPの手も上がる。「東条さんは『MPと一緒に合掌するのも仏縁だねえ』と笑っていました」。その時、元首相が手首に掛けていた念珠は、定価十銭。当時はまだ、銭単位の通貨が使われていた。いずれにしても元首相の持ち物は、ごく質素な念珠だった。

終戦直後の世相の中で、国民の怒りはA級戦犯に向けられていた。"極悪人"A級戦犯を導く教誨師を目の敵と見る人もあり、東京都東久留米市の花山氏の自宅周辺には不穏な空気が流れたこともある。時には武装したMPが警備のため、庭に出入りした。近くの療養所では入院患者らが「花山教誨師批判集会」を開いた、とも伝えられた。留守を守る妻のきよさんは、そのことを花山氏に一度も知らせなかった。

A級戦犯の東条元首相。C級戦犯の宮本氏。こうした秘話を聞くにつけ、獄舎の中で命の瀬戸際にある人々に対し、宗教がいかに大きな影響力を持っているかを知らされる。加賀尾氏、花山氏らの志を継ぐ教誨師は現在、各宗教合わせて千八百四十人。