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子は親の慈しみに倣って親を慈しむ

2010年9月2日付 中外日報(社説)

過去の中国においては、親が亡くなれば子たる者は三年の喪に服す習わしであった。

『論語』の陽貨篇に、「三年の喪は天下の通喪なり(三年の喪は天下の者すべてにとっての普遍の決まりである)」という孔子の言葉が記録されている。三年といっても足かけ三年であり、後漢の鄭玄(じょうげん)の説によれば二十七ヵ月、三国魏の王粛(おうしゅく)の説によれば二十五ヵ月ではあるけれども、しかしそれにしても大変な長期間である。

「三年の喪は天下の通喪なり」と孔子が述べたのは、そもそも弟子の宰予(さいよ)が、「三年の喪はいかにも長過ぎはしませんか。せめて一年でよいのではありませんか」と疑問を呈したのをはねつけてのことであった。

「お前がそれで心安らかでおられるのなら、そうすればよい」と孔子は冷たく突っぱね、そして宰予が退席すると、おっかぶせてこう言い放った。

――予の不仁なるや(宰予は非情な人間だ)。子は生まれて三年、然る後に父母の懐(ふところ)を免る。夫(そ)れ三年の喪は天下の通喪なり。予や三年の其の父母に愛(お)しむこと有るか(宰予は三年の喪を父母に対してけちけちするつもりなのか)。

孔子のこの言葉はなかなか面白い。親の死後に三年の喪に服すのはなぜか。それというのも、子供は生まれて三年間は親の胸に抱かれており、いわばその見返りの報恩の行為として三年の喪に服すべきだとされているからである。

かねて孔子のこの言葉を面白いと思っていたところ、最近になってウイリアム・セオドア・ドバリー氏の『朱子学と自由の伝統』(山口久和訳、平凡社選書、一九八七年)に中峰明本の次のような言葉が引用されているのに巡り合った。中峰明本(一二六三一-三二三)は元の時代を代表する禅僧である。

――およそ親というものは、わが子を養い慈しむものである。それゆえ聖賢は、親に対して孝養を尽くすべきことを教えるのである。「孝」は「効(=模倣する)」を意味する。子は、親が自分を養う様を模倣して、今度は親を養ってそのお返しをする。また、親が自分を慈しむ様を模倣して、今度は親を慈しんでそのお返しをする。

ここでは問題が孝行の「孝」一般に広げられてはいるものの、『論語』陽貨篇の孔子の言葉と通底するところがあるであろう。中峰明本が、「孝」とは「効」の意味だと言っているのは、山口氏の訳注が指摘しているように「同音の字は互いに意義上の関連性を持つことを利用した訓詁の例」なのであって、「孝」の文字を「孝」と同じく「コウ」を発音として「ならう」を訓とする「効」に置き換えて説明しているのである。

『詩経』魯頌「●水(はんすい)」篇に「靡有不孝」なる句があって、鄭玄の注釈は「効」と互いに通じる「傚」の文字を用いて「之に法(のっと)り傚(なら)わざる者無し」との意味だと説明している。つまり鄭玄も「孝」を「効」の文字に置き換えた上、「靡有不孝」の句を「孝(なら)わざる有る靡(な)し」と訓(よ)むべしと教えているのだが、しかしこの場合の「孝」にはそもそも孝行の含意があるわけではなく、「孝は効なり」という訓詁はそれほど一般的なものではない。

後漢の劉煕(りゅうき)撰の『釈名』は音通の文字に置き換えて説明することを特色とする字書だが、それにも「孝は好(コウ)なり。父母を愛好すること説(よろこ)び好む所の如くするなり」(釈言語篇)とあるだけであって、「孝は効なり」との説はない。

「孝は効なり」の訓詁は一般的ではないだけに、いささかこじつけの感がないわけではないけれども、中峰明本の説はなかなかに秀逸である。

なぜ彼がそのような説を立てたのかと考えてみる時、『論語』陽貨篇の孔子の言葉が彼の念頭にあったことはまず疑いがないであろう。

●=さんずいに半