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緩和医療の普及と仏教的な医療福祉

2010年8月28日付 中外日報(社説)

日本の医療機関において、精神的な側面でのケアの体制は弱体である。病に苦しむ人々の多くはこれまでの生活の土台が崩れるような不安の中にあり、また、かなりの人々は死生の境目に向き合っている。生きる意味のすべてが否定され、深い暗闇に突き落とされるように感じている人も少なくない。

病院とは傷んだ身体機能を回復させる治癒の場であるとともに、克服できるかどうか分からない危機に見舞われた魂のうめき声に満ちた場所でもある。だからこそ、世界の病院でスピリチュアルな事柄、魂の次元の事柄になじみが深いチャプレン(施設担当宗教家)が配置されている。軍隊や学校や議会にもチャプレンがいる社会であれば、病院にチャプレンがいるのは当然のことである。

日本ではキリスト教系の病院にはチャプレンがいる。また、天理教の憩の家病院には「事情部」があり、布教師が患者の悩み苦しみに耳を傾け、「おさづけ」を取り次ぐ。つまりは癒やしを願って神に祈る。だが、日本の多くの病院にはチャプレンに当たる存在はいない。公認の施設担当宗教家といえば、現代日本では刑務所の教誨師だけだ。だから、病院に仏教の僧侶がいれば患者も家族も「何だろう」とびっくりするのではないか。

これは仏教寺院数と比べて仏教系の病院が非常に少ないということとも関わっている。明治維新以降、仏教界は医療福祉活動に関わろうとしなかったわけではなかった。地域社会で貧しい住民のための医療活動を行なおうとするなど多くの試みがあった。だが、宗門組織や仏教界一丸となっての取り組みは乏しかった。

他方、近代日本においては、社会構成の全体において国家の主導権が強く、お役所任せになりがちで、医療においてその傾向は顕著だった。そのため今日、仏教医療福祉の分野はこれだけの仏教勢力を持つ国として、大変小さなものにとどまっている。

こうした経緯があって、日本では医療ケアに伴う精神的な側面への宗教界の関与が少ない。長年にわたってそのことが当たり前とされ、重大な欠落とは考えなかった。それは、一つには入院患者に対しても家族によるケアが手厚いものだったことによる。

かつては病院にひんぱんに通ったり、寝泊まりすることもできる家族がおり、そうした家族をサポートするさらに広範囲の親族らがいた。ところがこの二、三十年の間に家族、親族などの共同体が提供できる労力の量は格段に落ちてきた。病院のケアも家族の通いや付き添いを期待しないものになった。それはそれで多くのメリットがあるが、患者の孤独が日に日にきつくなってきていることは忘れてはならない。

このような患者の孤独化の傾向と、ホスピスやビハーラのように死に行く者のケアを主軸とする医療施設が求められるようになってきた傾向は並行している。だが、諸外国では死に行く者のケアにとって不可欠と考えられているスピリチュアルケアを行なう体制があるが、日本にはそれがない。

近年は治療よりも患者の生活の質(QOL)にシフトした緩和医療の充実が叫ばれている。がん医療においては、急速に緩和医療が普及している。

日本の場合、そこではスピリチュアルケアの専門家ではなく精神科医の関与が求められている。医療界が厚労省と共に自らの勢力圏内で事を解決しようとしてきた結果である。だが、宗教協力による宗教界の社会的プレゼンスの増大が必要な領域の一つであるといえるだろう。