ニュース画像
関係者に感謝の言葉を述べる田代弘興化主
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

非戦の精神を形に

2010年8月14日付 中外日報(社説)

終戦六十五周年を前に、一人の宗教者から聞いた逸話がある。

戦時中の昭和十八年冬、大陸に進駐した歩兵連隊で、新兵たちが銃剣術や射撃の訓練に、生きている中国人捕虜を刺殺したり撃ったりするよう命じられた。

厳寒の林で四十人の捕虜が目隠しもせず木に縛りつけて並べられ、小隊長の「突け」の号令が下ったが、兵たちはおじけづく。怒り狂った小隊長の再度の怒鳴り声に何人かが突進し、雪の原野は捕虜の絶叫と鮮血で修羅場に。それで正気を失った他の兵たちも次々銃剣を振るった。

その中でTという新兵は「人殺しは嫌だ」の思いで動かず、小隊長に罵倒されて殴る蹴るの制裁を受けた。さらに一人、禅宗僧侶だという兵卒も同様に頑として殺戮を拒否し、一緒に懲罰を受けた二人は心からの友となったという。

もうひとつ。臨済宗妙心寺派機関紙『正法輪』八月号に、軍命を拒否した同宗僧侶の兵士の話が。ビルマ戦線に送られたS師は、上官から「銀輪部隊を編成するので自転車を調達してこい」と言われたが、「僧籍にある者として同じ仏教徒のビルマ人から物を奪うことはできない」と抗議した。

同隊の仲間によると、S師はその場からどこかへ連れ去られ行方不明に。後に「戦病死」通知を受けた弟の住職は、最近になってこの経緯を人づてに聞き、「兄を誇りに思います」とつづっている。

国家、軍部が、全国民を「精神」面からも動員し、戦争の道に駆り立てているとき、それに反対、反抗することは、いかに「良心に従う」「心の真を守る」ためとはいえ、命懸けの、大変な勇気がいることだ。

この夏、特徴的な動きがあった。核廃絶への流れの中で米英仏各国代表が初めて原爆忌に参列した広島。普天間基地問題で揺れた沖縄。そのいずれもに、宗教者たちが相次いで慰霊の訪問をした。

だが、例えば最後の地上戦が行なわれた沖縄での、夥しい数の島民の「集団自決」についての生存者の証言や研究者の話は重く衝撃的だ。

「鬼畜米英」は単なる敵排斥のスローガンではなく、戦時教育によって「白人は残虐な鬼で、捕まれば男は八つ裂きにされ女は強姦されて殺される」と信じ込み、中国でそのような行為をした日本兵の体験談が恐怖を増幅した、という。

それが、母親がわが子の命をも絶つという凄惨な事態を招き、逆に「虜囚の辱めより死を」の教えに従わず「非国民」となじられた人たちは生き残った。

そのような犠牲を経て米軍が占領した沖縄で、原爆を長崎に投下した爆撃機の給油が行なわれたことは、あまり知られていない。

戦争は、人々の心、精神までも奪い、破壊する。

宗教者は、まずその人間の心に働き掛け、「不殺生」を説くはずだった。だが、戦争に反対するどころか、各教団が積極的に協力さえした暗い過去が存在する。そんな歴史の中で、仏教者としての良心から反戦を訴え、「大逆事件」に連座し獄死した高木顕明がいた。事件から今年で百年だ。

高木を当時、追放処分した真宗大谷派は近年に名誉回復、謝罪の措置を取り、差別や貧困と向き合った高木の働きを顕彰する動きも高まっている。

ここ十数年、各宗派で戦争協力への反省・懺悔が相次いでいるが、過去の検証を超えて大事なのは、その総括を今後の動きにいかにつなげるかだ。

時流を見極め、ある場合はそれにあらがってでも、良心と真実の道を守る行動を取るかどうか。

折しも、「集団的自衛権」などを軸に平和憲法の改定論議が広がっている。首相の諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」の提言では、「非核三原則」や「武器輸出三原則」の見直しが盛り込まれるとの報道があった。

反核のうねりの中での「8・6」式典で、謝罪のコメントさえ出さなかった米国大使は、「過ちは繰返しませぬから」という慰霊碑の言葉をどう受け止めただろうか。

六十五年前、連合国で日本への降伏勧告を協議していたトルーマン大統領が、原爆投下命令書にサインした。今夏、その署名が行なわれたドイツ・ポツダム市では市民によって原爆被害者慰霊碑が建立され「核兵器のない世界を」とのメッセージが刻まれた。

平和は常に揺らぎ、それを守ろうという動きも絶えない。それに、日本の宗教者たちはどう応えるか。

冒頭のエピソードは、宗教者は「殺すなかれ」と戒を説くだけではなく、「殺せない」と、もとより自らの働きを律しているものだということを物語っている。

人間の心をも破壊する戦争に対し、宗教が目指す真に深い精神性は、教条にとどまらず、心身に染みついて、行動を伴わせるものであるのではないか。もう二度と、あのような道を歩まないために。