ニュース画像
関係者に感謝の言葉を述べる田代弘興化主
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

背伸びしないで広島の訴え貫け

2010年8月3日付 中外日報(社説)

広島市が二〇二〇年のオリンピック(五輪)大会を誘致したいと意欲を示している。これは平成六年(一九九四)秋に広島市で開かれた第十二回アジア競技大会の成功が念頭にあるのではないだろうか。

アジア大会の広島開催が決まった時、地元マスコミの反響は必ずしも良いとはいえなかった。五輪大会に比べると格下の催しで、広い関心を集めることは困難との理由からだ。

ところが、会期が始まると予想以上の盛り上がりを見せた。当時の平岡敬市長は、市内の公民館を通じて市民に呼び掛けた。「公民館ごとにどこか一つの参加国と手を結び、その国の選手を応援してほしい」と。そのため、全選手に温かい声援が送られ、選手たちはヒロシマの印象を心に刻みつけて帰国した。

最後の最後になって参加を決めた四十三番目の国カンボジアは、その前年に二十年に及ぶ内戦が終結したばかりで、参加費用が調達できそうにない。そこで当時国際オリンピック委員会(IOC)理事・猪谷千春氏が「ガンバレ・カンボジアプロジェクト」という組織をつくり、広島支部長に安芸門徒(浄土真宗)で主婦の國近京子さんを選んだ。國近さんは、ボランティア運動に熱心だった。

被爆体験のある國近さんは、戦後の広島に、各国の援助が寄せられた恩義を思い、その恩返しの意味でカンボジアを助けようと決意した。仲間と共に、広島市内で開かれる野外イベントにカレーライスの店を出店し、その収益金でカンボジア選手団を招くことができた。

当時、カンボジア全土には地雷が埋まっていた。マラソン選手を選ぶレースは地雷撤去を済ませた石だらけの農道で行なわれた。アジア大会出場を果たしたカンボジア選手たちは、原爆から五十年で復興した広島の姿に感銘を受け、広島を目標に国造りに励むことを誓った。

現在の秋葉忠利市長が目指すように、もし二〇二〇年五輪の広島開催が実現すれば、アジア大会をはるかに上回る感動が世界に伝わることだろう。しかし、被爆者を含む広島市民は、五輪誘致にさほど乗り気でないとの見方もある。広島市議会は今春の審議で、五輪の検討費予算案を否決、秋葉市長の再議権行使でようやく可決した。積極的な可決ではなかった。

秋葉市長としては、二〇二〇年までに世界の核廃絶が実現するだろうし、広島五輪の開催はその最大の記念イベントとなると位置付けているようだ。しかし広島市の財政力を危ぶむ声もあれば、核廃絶実現への道の険しさを説く人もいる。さらには、五輪開催が平和運動と直結するのかとの声も上がっている。

今年の広島の平和記念式典には、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長と共にルース駐日米大使をはじめ、米英仏三国の代表が初参列するという。広島市民にとっては、明るい知らせである。しかし、五月の核不拡散条約(NPT)再検討会議では、核廃絶の期限を最終文書に明記することはできなかった。核廃絶実現への道は、もう少し長い目で見なければならないのではないか。

十六年前のアジア大会開催は、広島にとって"身の丈に合った"イベントだったといえよう。カンボジアの選手を招いた國近さんらは大会後「ひろしま・カンボジア市民交流会」を組織し、十余年がかりでプノンペンに四階建ての交流施設「ひろしまハウス」を建てた。平成十一年に退任した平岡市長は、一市民として現地を何度も訪れ、市民有志らと共にレンガ積みをした。仏教徒同士の交流の拠点が確立された。

もちろん、五輪誘致の夢は素晴らしいことだ。広島市民が期限にこだわらず着実に核廃絶の訴えを積み重ねれば、おのずから広島五輪開催が実現する日が訪れるかもしれない。