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改正臓器移植法の施行とその問題点

2010年7月24日付 中外日報(社説)

改正臓器移植法が七月十七日に施行された。国内での臓器移植の飛躍的な増大が期待されている。臓器移植による救済を願う患者やその家族にとっては待望の時節といえる。また、臓器移植を行なうべく知識と技を磨いてきた医師にとっても、新たな歩みが始まることになる。

だが、「尊いいのち」がそれにふさわしい医療的処遇を受けることを願う人々にとって、この新事態は素直に喜びと希望だけでは迎えることができないものがある。

旧臓器移植法は広く注目を集めた脳死臨調の審議を経て、ある程度、公明な手順を経て定められたものだった。ところが、このたびの改正臓器移植法は海外での臓器移植が困難になるという事態を受けて、脳死臓器移植をめぐる倫理問題については必ずしも明るいとはいえない国会議員の自由投票で決せられることになった。

このように透明とはいえない経緯を経て定められた改正臓器移植法であるため、それによって臓器移植を推進しようとすれば医療現場においてさまざまな混乱と困難が生じることが予想されている。

例えば、本人の意思が確認できない場合には家族の意思によって臓器提供を定めてよいことになった。脳死判定を受け入れ、新鮮な臓器を取り出そうとする立場の医療関係者と、急に瀕死の状態に陥った患者の家族との間で微妙なやり取りが行なわれることになろう。最後の回復の可能性にかけようか、静かに最期を迎える死者との時を過ごそうかという家族の選択に、新たに、早く脳死判定を行なって臓器提供に協力すべきかどうかという問いが課せられることになる。多かれ少なかれ死者への思いを割り切りながら、移植医療が掲げる大義に同意することが求められるのだ。

脳死と判定される人々の回復のための治療努力が縮減されるのではないか、という懸念は重いものだ。これは避けられないことだろうが、そうしたことが起こるとしてもそれを最小限にするよう厳しい手順の規定、またその順守が求められる。

家族が本人の意思を代弁できるというのは、相当に楽観的な考えだ。本人はもっと生きたいと願っていても、家族は回復や延命をあきらめているということは決して珍しいことではない。生き残る者の都合を優先させる判断となる可能性は高い。

とりわけ、死にゆく者と見なされるのが子供である場合、この懸念は大変深刻なものとなる。どうすれば子供が死を早められるのを防ぐことができるか、徹底した方策を立てるべく検討がなされなくてはならない。

これと並んで、いやそれ以上に重い問題は、今後の医療において、脳死と判定される者だけではなく、死が近いと考えられた人々のいのちを尊ぶ基準が引き下げられることだろう。実際、脳死は人の死とはいえないという科学的な証拠が積み重ねられてきており、脳死を人の死とするのなら、死に近いと見なされた他の人々の死を早めることも許されるのではないかと主張する人がいる。

ここには社会の活力に貢献できないと見なされた後期高齢者、がん患者などの重病者、多大な介護費用を要する重度障害者のための医療費・介護費を削減したいとする経済的な動機も絡んでくる。

尊厳死や安楽死を認め、それを法制化しようとする動きがある。しばしば重度の障害が残ることになる早産児の治療基準について産科医は悩み続けてきている。周囲の人々の迷惑を考えれば人工呼吸器を付けない方がよいのではないかと考えるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者もいる。出生前診断をなすべきかどうか、そこで染色体異常が認められた場合、中絶すべきかどうか悩む親や産科医がいる。

改正臓器移植法はこれら「弱い立場のいのち」の命運に大いにかかわるものと受け止めるべきだろう。宗教者を含め、関係者の熟慮が求められる所以である。