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作家たちが示す対照的な大阪観

2010年6月24日付 中外日報(社説)

ノーベル文学賞を受けた作家・川端康成は、大阪・天満(大阪市北区)の生まれ。しかし大学卒業後は関東に住み、大阪を描いた作品は、ほとんど残さなかった。これに対し、東京生まれで文化勲章受章者の作家・谷崎潤一郎は、関東大震災後に関西に住んだ十年近い間に大阪の気風に感化され、商家を題材に多くの名作を生んだ。

対照的な二人の姿を、四天王寺大学名誉教授の三島佑一氏が、このほど刊行した『大阪オーラ・日本を予見する日本のハート』=和泉書院=の中で、詳細に分析している。

明治三十二年に生まれた川端は、生後一年七ヵ月で医師だった父に、二年七ヵ月で母に死別、引き取って育ててくれた大阪府豊川村(現・茨木市)在住の祖父母らも次々に亡くなり、十五歳で全くの孤児になる。幸い、よき友人たちと出会い、旧制一高から東大を卒業して、その後は伊豆(静岡県)や鎌倉(神奈川県)に住んだ。三島氏によると「大阪の俗を嫌い、ごった返した大阪の動を嫌った」ことになろうか。

代表作の一つ『伊豆の踊子』はもちろん伊豆が舞台だし『雪国』では新潟県の湯沢温泉を描いている。川端は生地の周辺の大阪・天満に案内された時、涙を浮かべて周囲を眺めたが、車から降りようとはしなかった。大阪には暗い思い出しかなかったためか。

三島氏は仏教の「往相還相」を引き「仏界に往って悟ってまた俗界に、魔界に還って来る。川端康成にとっての俗界は大阪という魔界で、仏界より魔界に還って来ることの怖さと解釈すると、彼と大阪との関係をより理解できるのかもしれません」と記す。

一方の谷崎は川端より十三歳の年長で、東京・下町の商家の生まれだった。父は商売下手で家計が窮迫、谷崎は東京府立一中をいったん中退、編入試験を受けて復学したという。

東京では山の手に住む人々が幅を利かせ、商人は肩身狭い存在だった。ところが震災後に移住した関西では、大阪・船場(中央区)の大店(おおだな)の商人が尊敬を集めていた。谷崎にとっては、それが新鮮な驚きであった。

御寮人(ごりょん)さんは単なる店主の妻ではなくて、奥にも表にも目を配る存在である。その一人、根津松子に恋慕を感じた谷崎は、商家を舞台とした『蘆刈』や『春琴抄』を書き、さらには戦中戦後の八年をかけて『細雪』を書き上げた。谷崎の筆で"優美な大阪"が紡ぎ出された。外から大阪を見つめた視線の結晶だった。

一方、船場に生まれ育った作家の山崎豊子にとっては、商家とは欲と欲がぶつかり合う醜い世界でしかない。内側からの目で『女系家族』や『ぼんち』『女の勲章』など、徹底して船場のアラを書きまくった、と三島氏は断じる。

『細雪』の舞台を見た人々は幸せそうな表情で家路に就くのに『女系家族』の映画を見た人は後味の悪い顔つきで館外に出てくるそうだ。もちろん、大阪での情景だが。

こうした分析に絡めて三島氏は国文学者らしく、船場で使われてきた特有の言葉についても考察を加えている。京都の御所言葉の影響も多々あるが、着物の柄の評価で「はんなり」はほんのりとした上品な華やかさ。「こおと」は地味は地味でも、シックな上品さを言うらしい、と。

女きょうだいの末の娘は「こいとさん」がつづまった「こいさん」。『細雪』の書き出しは「こいさん、頼むわ」だ。しかし身内の姉が妹を「こいさん」と呼ぶのは不自然だ、と三島氏は指摘する。関西人になりきれなかった谷崎。

朝夕に北と南の御堂さんの鐘を聞き、神農さん(少彦名神社)の祭礼を楽しみに育った"まち学者"の三島氏の同書は、歴史や将来展望の面でも大阪の市民感情をにじませている。