ニュース画像
叡南覚範門主からおかみそりを受ける参加者
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

父は子の為に隠し子は父の為に隠す

2010年6月22日付 中外日報(社説)

二月二十七日付の本欄「父母と子とは一体」に、『儀礼(ぎらい)』喪服篇の子夏伝の「父と子とは一体」なる言葉を取り上げ、父と子、ないしはむしろ母と子との間の感応の現象がしばしばその言葉に託して語られることを述べた。

ところで、後漢の章帝の建初四年(七九)、宮中のホールの白虎観に学者を招き、儒教の根本典籍である五経の諸説について討論させたシンポジウムの記録である『白虎通(びゃっこつう)』の諫諍篇に、「父と子とは一体」なる言葉に託してまた別の問題が取り上げられている。

すなわち「君は臣の為に隠さざるに、父は独り子の為に隠すは何ぞや。以為(おも)えらく、父と子とは一体なれば、栄恥相い及べばなり(栄誉も恥辱もお互い共通の問題だからである)」とあり、その上で『論語』の言葉が引かれているのだ。

「故に『論語』に曰わく、父は子の為に隠し、子は父の為に隠し、直きこと其の中に在りと」

子路篇の言葉である。

楚の国の葉(しょう)公が孔子にこう語った。「われわれの村に正直一方の者がおります。父親が自分の土地に入ってきた他人の羊をちょろまかしたところ、正直者の息子が証言し、父親は有罪になりました」。ところが孔子は、「われわれの村の正直者はそれとは違う」とやり返し、「父は子の為に隠し、子は父の為に隠し、直きこと其の中に在り」と語った。父親は子供が犯した罪を隠し、子供は父親の犯した罪を隠す、それこそが本当の正義なのだ、というのである。

ところで『史記』の循吏列伝に、春秋時代の楚の昭王の宰相であった石奢(せきしゃ)の次のような話が見える。

石奢が地方を巡察していた時、人を殺した者を見つけた。追っかけて捕まえたところ、なんとそれは自分の父親であった。石奢は父親を放免した上で、巡察を終えて戻って来るとわが身を獄につなぐように申し出て、昭王に次のように言上した。

「父を裁きにかけて法を執行するのは不孝です。国法を無視して父を放免するのは不忠です。わたしは死罪に当たります」。かくして彼は自ら首をはねて死んだ。

この石奢の話は『韓詩外伝』や『新序』節士篇にも見え、君子人は石奢を「貞士の法――正義の士の模範――」と評したと述べるとともに、そこにもまた「子は父の為に隠す」という『論語』の言葉が引かれている。

ともかく『論語』子路篇の一条は、国法か、それとも家族間の愛情か、そのいずれが優先するのかという極めて深刻な問題についての記録なのであり、「父は子の為に隠す」云々という後者の孔子の主張に軍配が上げられているのである。

かくして儒教が国教としての地位を獲得した漢代においては、次のような詔が発せられもした。『漢書』宣帝紀が伝える地節四年(前六六)の詔である。

――自今、子が父母を首匿し、妻が夫を匿し、孫が大父母(祖父母)を匿すとも、皆な坐すること勿(な)かれ。其の父母が子を匿し、夫が妻を匿し、大父母が孫を匿し、罪は殊死なれば、皆な廷尉に上請して以て聞(もう)せ。

今後、子供が画策して罪を犯した父母を匿い、妻が夫を匿い、孫が祖父母を匿っても、すべて罪に問うてはならぬ、それとは逆の場合、例えば父母が子を匿い、その子が犯した罪が死刑に相当する場合には、すべて裁判を担当する廷尉から天子に報告し、天子の判断に委ねよというのである。

このように犯罪者を親族がかばい合うことを許したのは漢代だけのことではなかった。『唐律』にもその趣旨の条文が名例律に見いだされるし、十世紀宋の時代の●■(けいへい)が『論語』の「父は子の為に隠す」云々に施した注釈にも言う。

「今律(現在の刑法)、大功以上は相い容隠することを得、父祖を告言する者は十悪(十の大罪)に入る」。大功とは九ヵ月の喪に服する範囲内の親族のこと。

今日の刑法に慣れ親しんだわれわれにはとても考えられないことだが、「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す」という孔子の言葉は、後世においてもそれほどまでに大きな力として作用したのである。このことは、今も東洋人の思考法に何らかの影響を残していると考えていいかもしれない。

●=形の彡をおおざとに ■=日の下に丙