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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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社会に関わる宗教者

2010年6月17日付 中外日報(社説)

臨済宗妙心寺派管長に河野太通老師がこのほど就任し、宗門トップとして積極的な動きを見せている。

先ごろ営まれた晋山式では宗議会議長から「宗門に対する社会の期待に応えるべく第一歩を踏み出す時、誠に心強い」との祝辞があったが、以前からの河野管長の「社会に関わる仏教者」としての立場がより一層強固なものになり、宗門全体、そして宗教界全体に広がることが望まれる。

河野管長は南太平洋戦没者慰霊、遺骨収集活動に尽くした故山田無文老師を師とし、慰霊行も共にした。二十五年前にはアジアの友を支援する会「RACK(慈悲喜捨)」を立ち上げ、カンボジアやタイ、ベトナムなど各地でボランティア活動を繰り広げている。

そして阪神・淡路大震災の際には、当時、自坊の祥福寺(神戸市)が山門が倒壊するなどの被害を受けながら、寺を拠点に長く救援活動を展開し、その後は、被災地の焼け土で小さな「やすらぎ地蔵」像を焼き、震災犠牲者数の六千を超えて被災者に配り続けた。

一方では、宗門の要職にあって、第二次大戦中の宗門の戦争協力を懺悔し、内外に大きな反響を呼んだ。

平成二年、筆者もRACKの活動でフィリピンへ同行し、貧しい子供たちへの師の優しいまなざしや、戦跡で読経する際の重く険しい表情に接した。

五年前には京都の大学で河野老師を招聘した「現代社会と宗教」の講義において、若い学生たちに非戦の重要性を力説する姿に接し、感銘を受けた。

仏教界、また禅宗の世界には、「僧侶は自らの悟りこそを目指すべきで、世事には関わるべきではない」との立場もあり、河野老師の発言にはさまざまな意見が投げ掛けられ、曲折もあった。

だが、「禅ブーム」といわれる中で一般の人にも広く読まれている『無門関』に、第二則「百丈野狐」として、「悟った者は因果に落ちない(不落因果)」と答えた僧が野狐に身を落とされ、五百回の転生の後、「因果を昧まさない(不昧因果)」の答えを聞いて悟る、という公案がある。

これは、悟りを目指す仏教者であっても因果、つまり社会の動きを超越しているはずはなく、いや仏教者であればこそ深い意味で人間社会に関わるべきである、との意義にも解したい。

昨今、「エンゲイジド・ブッディズム」「社会参画型仏教」が盛んに論じられる。宗教宗派を問わず多くの教団で、「社会にどのように関わるか」といったテーマで講習会やシンポジウムが開かれている。

宗教は本来的に、現実に生きて生活する人々を導く光であるはずだ。折しも、全日本仏教会の会長にも就任した河野管長は「世間は(全日仏を)日本仏教界としての意志を発信する組織と見なすはずだ。仏教の社会的対応とその貢献の方途を考えなければならない。国内外へ向けて、責任ある発信が全日仏からなされるべきだ」との趣旨を訴えた。

妙心寺派内でも最近、「明日の宗門を考える会」が立ち上げられたのをはじめ、さまざまな新たな動きがあり、その中で新管長は精神的に一派を力強く導くことが期待されている。

言葉で社会貢献、人々の支援を語り、現状にとどまるなら、真の社会参画とはいえない。だが河野管長は、行動の人であり、訴えも前向きだ。

先の震災時の活動でも、廃虚の看板を鉄板にして餅を焼き、毎日二回、自ら子供たちに配った。後年、「私たちには、あの震災の傷跡からここまで立ち直ったパワーとノウハウを世界に発信する義務がある」と語っている。

戦争協力懺悔の問題では、著書で「前事忘ぜず、後代の亀鑑となす」と述べているように、主張は、これからの世界平和にいかに貢献するか、という未来志向に裏打ちされている。

河野管長の持ち味は、そのほのぼのとした温かみだ。著書『まあ、お茶でも飲んでゆきなされ』のざっくばらんさ、「やすらぎ地蔵」の柔和な顔にも、それが表われている。

何も大上段に振りかぶらなくても、「近所の気さくな和尚さん」として仏教者、宗教者が人々の信頼を受ける。社会参画の原点は、そのようなところにある。