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普天間問題に見るメディアの罪

2010年6月10日付 中外日報(社説)

社民党の政権離脱から鳩山・小沢体制の崩壊、菅首相の誕生へ。政局が目まぐるしく動いた。政治への関心は民主党の新体制と参院選へ向けた政局展望に移る。突然辞任した鳩山前首相の責任追及も続くだろうが、ここでは辞任の直接の引き金になった普天間問題の報道に絞り、マスメディアの責任を検証したい。

昨秋来の普天間報道に、筆者は広島の原爆慰霊碑の碑文「過ちは繰返しませぬから」に異議を唱えたインドのパール博士の言葉を重ねていた。先の大戦の東京裁判を「勝者の裁き」と否定し、全員無罪を主張した人。博士は「過ち」の主語がない碑文に「原爆を落とした者の手はまだ清められていない」と語ったとされる。昭和二十七年だった。

碑文の趣旨は実はもっと奥深いのだが、それはさておき普天間で言うと、首相を迷走させたオバマ大統領の強硬な姿勢の是非をまるでタブーのように問うことがなかった。主語不在のまま独り相撲を観戦させられたように後味が悪い。

濃淡はあれメディアの大勢は対米関係の現状維持と日米同盟の「抑止力」を終始優先させた。だが「住民の支えがない基地は機能を発揮できない」と言ってきたのは米国自身だ。平成七年、米海兵隊員の少女暴行事件で沖縄の反基地感情が爆発した。米国が海兵隊基地・普天間の返還に合意した原点はそこにあった。

国民の支持のない他国軍基地は「占領」にほかならないという声も聞く。普天間の訓練分散移転に全国知事会のほぼ全員が及び腰だ。それをエゴと批判するのは容易だが、既設の米軍基地への住民の悪感情は募っている。状況を少しでも改善するには、同盟のあり方について米国と主権国家同士の厳しい交渉が求められる。普天間は"入り口"づくりの好機だったが、テレビの報道番組の話を借りると、メディアは「マウンド上の自チームの投手に味方のベンチから熱心にヤジを飛ばす」観すらあった。

辺野古"回帰"をニューヨーク・タイムズは、「オバマ政権の勝利」だが日本で「弱い同盟国に対する押し付け」と受け止められるようなら、その勝利は「空虚なものになりかねない」と論評していたそうだ。現実に日本では辺野古移設の可能性はほぼなくなったという意見が少なくない。沖縄の反基地感情が先鋭化、嘉手納基地などへの影響を指摘する声もあるほどだ。

先月末、沖縄で地元沖縄タイムス主催の「なぜ沖縄か」を問う識者らのシンポジウムがあった。鳩山政権が提案したくい打ち桟橋方式の移設案を米国が「テロに弱い」と拒否したことに関連し、姿が見えないテロリスト相手ではそもそも抑止力理論は成り立たないという疑問が出された。海兵隊は真っ先に紛争地に駆け付けるという意味で抑止力という定説も「海兵隊の輸送手段は沖縄にはなく、長崎・佐世保にある」という矛盾から否定された。親米派で知られるパネリストでさえ「沖縄に海兵隊がいる必然性はない。本土が受けないという政治的理由から」と語る始末だった。

前首相が「学んで知った」という抑止力だが、沖縄の海兵隊基地の必要性を問い直す大事なポイントに踏み込んだ記事に筆者は触れた記憶がない。シンポの聴衆からは「本土メディアは米国の手先か」と素朴な質問が出され、沖縄タイムスの記者は東京での取材経験から「本土の記者は基地問題の本質を見ず、すぐに政局報道にすり替えてしまう」と話していた。

「構造差別」という激しい言葉が公然と語られ始めた。明治の琉球処分以来の差別の歴史に対する県民の思いが噴出する気配だ。悲願を踏みにじった前首相の罪は重い。だが「沖縄の期待を膨らませた」と"上からの目線"で前首相の言葉の失態を責めるメディアはどうなのか。差別を戒める宗教界も無関係では済まないように思う。