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「障害」から逃げず自ら選び歩む人生

2010年5月18日付 中外日報(社説)

京都市の主婦が『三重苦楽』という本を出版した(アストラ刊)。大畑楽歩さん(32)によるその自伝のサブタイトル「脳性まひで、母で妻」を、「障害を克服し、母親として生きる努力の記録」と受け取る人も多いかもしれないが、根本的なところが違う。

彼女は、乳児期に食道の手術を受け、心停止、脳の酸欠状態となったのが原因で重度脳性まひになった。

不随意運動でうまく歩けない話せない、物が持てないという状態で、いったんは通った小学校の普通学級を断念。当時「画期的な障害リハビリ」とされた「ドーマン法」を両親が取り入れ、訓練生活に入った。

だがそれは、朝から晩まで、一日も休まず、体に痣が絶えないほどの猛烈な機能訓練の連続で、六年間も休学する結果に。当初は著しい効果が出たが全快には遠く、すべての自由を「健常者並みに歩く」という目標のために犠牲にすることに疑問を抱き、中止した。

復学、高校入試失敗など苦悩の中で自殺を試みたこともあった。だが、「自分の生き方は自分が決める」と転換して、さまざまなチャレンジを続けた。

海外留学、ドラム演奏に挑戦、免許を取ってドライブ。そして、いろんな活動の中で知り合った男性と「夢にまで見た」結婚をし、一児をもうけた。

その過程が、映画のシーンのようなプロポーズ、「若い女性らしく」と震える手で化粧して「お多福状態に」という逸話など、ユーモアも交えてつづられている。

「障害者は障害者らしく、一生懸命、ハンディキャップを克服する努力をして健常者と同等に」という考え方への、身をもってするアンチテーゼ。ましてや逃げたり敗北するのではない生き方がここにある。

確かに不自由であり不便ではあるが、決して不幸などではなく、本当の幸せは、障害のあるなしにかかわらず、自分の納得のいく人生を、彼女の名前どおり「楽しく歩む」ことだ、という強烈なメッセージである。

実は昭和六十三年、筆者は訓練に励む彼女を取材したことがある。「奇跡のラブちゃん 驚異の回復」と大きく報道され、それが他の多くのマスコミが殺到して彼女が「障害を克服したヒロイン」と祭り上げられるきっかけになっただけに、自伝の明るい力強さにうれしい驚きを感じた。

とともに、「障害」イコール「不幸で、乗り越えるべきもの」「助ける対象」というステレオタイプのとらえ方ではいけない、ということを改めて実感した。

障害といえば、明治三十八年に起きた六人殺傷事件で凶刃に襲われ、両腕のない体になりながら、筆を口にくわえて優れた書画を書いた故大石順教尼が京都・山科に仏光院を開いて来年で六十年だ。

不運な半生を経て、事件の犠牲者を弔うため仏門に入った彼女は、自身を傷つけたその犯人をも許し、体の不自由な人の自立支援に生涯尽くした。同院に残る順教尼の作品は、その人柄のようにのびやかな明るさと優しさに満ちている。

今、毎日午後三時から夕食の準備をし、「主婦業」を楽しむ楽歩さんは「障害者は弱者ではなく、できないことが多いだけ。それを受け入れ、望んだ時がかなえ時という気で何でもチャレンジしてきました」と語る。

「人生、あきらめなくていいんだよ、ということを感じてもらえれば」

自伝は半年以上かけてパソコンで書き上げ、東京の出版社に飛び入りで持ち込んだ。当初考えていた書名は「ママの"特技"は脳性まひ」というものだった。「障害=個性」をも超え、人生の真正面に据えた、生半可でないバイタリティーが見える。

常用漢字に関連し「障害者」ではなく「障碍者」とすべき、との論議があったが、表記の問題が本質でないことは考えれば分かる。

ハンディキャップがある人ではなく、そのことで不利益を強いるような社会の側こそが不幸な「障害」である、ということに気付きさえすれば。