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この世を支えるあまたの菩薩行

2010年5月15日付 中外日報(社説)

大阪府松原市在住の松岡博隆さんは、いま八十歳。地域の学童にテニスの指導をするほど、元気である。戦時中に在学した旧制中学校の同期会が、郷里・中国地方のK市で開かれるのを機に、親友のAさんを見舞おうと思った。

成績優秀だったAさんは「三公社五現業」と呼ばれた職場の一つで手腕を発揮した。だが今は認知症のため、自宅に近い特別養護老人ホームに入所している。もちろん、同期会には出て来ない。

松岡さんは事前にA夫人に電話し「お見舞いしてもいいですか」と尋ねた。夫人の最初の答えは、ノーだった。「妻である私の判別もつかない状態です。私自身も体調が悪く、めったに見舞ってやれません」

いくら親友とはいえ、夫の現実の姿を見せたくないとの配慮もあるようだ。松岡さんは、いったんは見舞いをあきらめた。

数日後、夫人の方から電話がかかった。「せっかく訪ねてやろうと言ってくださったのに、お断わりして申し訳ありませんでした。私は行けませんが、夫が入所しているのはどこどこの施設の何号室です。よろしければ、ぜひ会ってやってください」

松岡さんは答えた。「では何日の何時ごろ、一人でお伺いします。ご迷惑をかけないようにしますから、御了承ください」

同期会の翌日、松岡さんは予定していた時刻に、特養ホームへ出向いた。驚いたことに、夫人だけではなく、長男と長女もいた。二人とも首都圏に住んでいるのに、都合をつけて帰郷したとのことだった。

Aさんは入浴をさせてもらったらしく、さっぱりした様子だった。だが相手がだれかも分からないまま、わずかに目を開いて、松岡さんの方を見た。

「現役時代のAさんは、中小企業を経営していた私に何度も適切なアドバイスをしてくれたのに……」。一言も言葉を交わすことなく、二人だけの同期会は終わった。家族三人は深々と頭を下げた。その時松岡さんは、Aさん一家と"心が通じた"と感じた。

さて、先日の日本経済新聞の俳壇には、黒田杏子選で「呆け給ふ姉を主賓に雛の宴」が採られていた。作者は岐阜県可児市の女性である。選者評には「姉上を大切に護(まも)っておられる作者とそのご家族。その人の尊厳を大切に」とあった。この人の症状はAさんより軽く、家族と交流する力があるようだ。

産経新聞(大阪)夕刊に連日掲載の「夕焼けエッセー」欄に寄せられた読者の投稿で、三月の月間賞には大阪府吹田市・岡﨑陽子さんの「合鍵」が選ばれた。在宅の母親を介護してくれる医師、看護師、ヘルパーさんたち五人に、自宅の合鍵を渡していた。母親の死去で用済みとなった合鍵が一つ、二つ……五つと、緑のリボン付きで返されてきた、という内容だ。

「苦労の多い地味な人生だったが、母は最期にいろんな人から、たくさんの贈り物を受け取ったに違いない」と、エッセーは結ばれていた。

京都新聞の読者欄には、京都市中京区の早見ゆき子さんという八十一歳の女性が投稿している。若くして亡くなった両親に代わり、兄と二人で幼い弟妹四人を育てた。結婚して、自分の子ども二人を育てた。これから夫と二人で老後を過ごそうと思っていた矢先、夫が脳梗塞に……。

「今、私は三度目の子育てをしていると思っています。(一度目、二度目とは違って)三度目は終わりの見えない子育てです。でも自分や夫の両親に何の親孝行もできなかった分、夫を介護することで果たせたらと思い、健康で夫の世話ができることに感謝をしています」

高齢化進む今、目に見えないところで、この世を支えるさまざまな菩薩行が行なわれていることに気付かされる。