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メール全盛の今 手書き文化再考

2010年5月1日付 中外日報(社説)

「新人記者に三ヵ月間、パソコンを使わせず手書きで原稿を書かせている新聞社がある。読売新聞社だ」という記事を見た。読売新聞のPR版ではなく、なんと毎日新聞メディア面のコラムである。

パソコンを使うと、原稿作りが極めて便利だ。漢字変換も楽だし、過去の記事の検索もできる。だが「盗用」につながりかねない危険もある。読売新聞のパソコン禁止令は、自らの足で取材することの大切さを認識させるのが狙いとか。だが、効果はそれだけではなかった。手書きをすることで、事前に文章構成を考えてから書き始める習慣が付いたそうだ。

思考や文章構成までパソコンに預けるわけにはいかない。同社の試みを聞き、毎日新聞の後輩記者にも、その意味を伝えたいと思った――と、コラムは締めくくられていた。

「パソコンのメールができて便利になったと思っている人がいっぱいいるが、とんでもない」と書いたのは、小説家の保坂和志氏である。『ちくま』誌四月号への寄稿で、題して「寝言戯言」。

保坂氏は一部保守的文壇人のようなパソコン拒否派ではないらしく、文中には次の記述がある。

「メールを使うようになって、私は手紙やハガキが書けなくなった。とりわけハガキが書きにくい。ハガキのスペースに、どんな大きさの字でどれだけの量の文章を書けばしっくり収まるか、を考えるとわからなくなる」

瞬時に通信相手に到達するパソコンのメールは、述べたいだけの文章を入力すればよいのだから、量的な規制に配慮する習慣を忘れがちだ。裏返せば、読売新聞の新人記者が、原稿を手書きする訓練により、あらかじめ記事全体の文章構成を策定する能力を養うことができた事実に相通じる面があるといえよう。

保坂氏は、この寄稿の中で戦前の郵便事情について触れている。昭和十一年に書かれた小説に、前夜に投函した手紙が、都内(当時は東京市内)のあて先に翌日の夕方に届いたとのくだりがあるそうだ。恐らく、一夜明けた早朝にポストから回収した郵便物が、速達でもないのに、その日のうちに着いている。現在では考えられぬ、スピーディーな配達ぶりだ。

別の作家の回想談では、当時は速達便を午前中に出せば「本日、午後三時にお伺いしたい」との予告が可能だったという。個人への電話の普及率が低く、パソコンもケータイもなかった時代だから、郵便局のサービスも、おのずから手厚かったのだろう。

さて「ペンパル」という言葉を聞かなくなってから久しいが、先日の京都新聞に六十代の主婦からの「手紙には温かみがある」と題した投稿が取り上げられていた。十数年来文通をしている相手、つまりペンパルとの間では、十日に一度ほどのペースで封書が往復する。きれいな便せんや封筒を使い、美しい女文字の便りが届く。着いてすぐ読んだ文面を、夜、家事を終えてから再度読み返す。「彼女の文には温かみがあり、心の支えになります」

さらに言葉を継いで「ファクスやメールが発達した今でも、私は急ぎの用でない限り、はがきや手紙を書きます。手紙を書くようになってから、時候のあいさつ一つ書くにしても、季節感や身の回りの小さな発見を盛り込むようになりました。それによって日々の生活が豊かになっていくのを感じます」と。

米国では調査機関からの問いに、新聞・放送界経営幹部の半数が「現状が続く限り十年以内に経営が破綻(はたん)する」と回答したという。強敵はパソコンなどネットのメディアだ。しかし日本では、手書き文化もまだまだ捨てたものではない。仏教界の御文や遺文などの持つ影響力の強さに学びたい思いがする。

=引用文は要旨=