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「核の傘」と宗教界の核廃絶運動

2010年4月22日付 中外日報(社説)

戦後日本の平和運動は広島、長崎の被爆体験で核廃絶を軸に展開してきた。だが、久しく問われているように米国の「核の傘」を拒まない非核の訴えには、そもそも矛盾が潜む。そのあいまいさを総括してみる必要はないだろうか。掘り下げた議論を求められているように思うのだが。

「ユキオ、君は同盟国のはずだ。覚えている? 高価な米国の核の傘で、莫大な金を節約できたのだろう?」

報道によると四月十四日付の米国の大手紙ワシントン・ポストのコラムにそんな一文がある。米国で先日開かれた核安全保障サミットに出席した鳩山由紀夫首相は、オバマ大統領と公式の会談ができず、一方、大統領は中国の胡錦濤国家主席とは一時間半首脳会談をした。コラムは前段でサミットでの勝者は胡主席で鳩山首相は一番の敗者と酷評している。日本のメディアはそれが普天間基地移設の日米合意をめぐる首相の「迷走」に大統領が不信を持っている表われと強調していた。しかし、筆者はむしろコラム後段にあった前述の文言に暗然とした。核に関し超え難い認識の違いを感じさせる。

オバマ政権が先に発表した米国の核戦略見直しは「核なき世界」を目指しながらも、同盟国に対する核攻撃の抑止を重点の一つに挙げた。同盟国や第三国に対する攻撃に核兵器で報復する保証を「核の傘」あるいは「拡大核抑止」というそうだが、日本は戦後一貫して米国のそれを期待、あるいは黙認し、冷戦が二十年前に終わった今もその姿勢に変わりがない。オバマ新戦略にもそれが反映しているのだろう。

米国の「核の傘」への依存は平和憲法の制約の下、国の安全を守る現実的な選択だったともいえる。その後北朝鮮が核保有を宣言、核保有国中国が一段と軍備を増強する中、危機感を強めるマスメディアの多くが鳩山政権の普天間「迷走」は「日米同盟」への信頼を損なうと声高に非難する。一理あるが、同盟の根幹をなす「核の傘」について核廃絶を訴える日本の平和勢力、とりわけ命の尊厳を根本理念とする宗教界が異なる見解に立つべきなのは言うまでもない。普天間問題を考える時に、それは一層鮮明になる。

日本が「核の傘」に頼る限り、もとより米国はその見返りに普天間の現行移設案に固執する強硬な態度を変えるはずもない。鳩山政権の「迷走」も、元はそこにあるように見える。メディアが「核の傘」に執着するのなら、結果としてそれが基地の県外移設を願う沖縄県民を裏切り続けるという自責の念を持たなければ公正、均衡を失する。もう少し踏み込むと、仮に近隣国で核が使われた場合、偏西風で「死の灰」が日本列島を覆う。さらに普天間の海兵隊がアフガニスタンなどを転戦しているという指摘も無視できない。国際政治学では、核兵器はもはや使用不可能という有力な意見があるそうだが、冷静に判断するとそういう結論にならざるを得ないだろう。

二〇〇一年の「九・一一同時テロ」の際、米ブッシュ政権の報復行動に日本の宗教界が「暴力は何も解決しない」との視点から自制を促し、日本宗教者平和協議会は米国に追随する当時の小泉政権に「軍事力による制裁・報復は恐怖の悪循環を招く」と訴えたと聞く。普天間問題に根の部分で通じる論理ではないか。

上述のコラムに戻ると、米国の「核の傘」が高くつくというのなら、日本も米軍の駐留経費に数兆円も負担している事実がある。

ある総合月刊誌の投書欄に「(メディアが)普天間移設の日米合意履行を迫るなら(同時に)『沖縄の反対など地域エゴだ』とはっきり言うべきだ」と、本土メディアへの不信感を募らせる文章があった。「核の傘」を問い直さなければ、沖縄の同胞たちの痛みを共有することはできない。