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慎ましく生きる

2010年4月17日付 中外日報(社説)

襤褸(らんる)また襤褸/襤褸これ生涯……/月を看て終夜嘯(うそぶ)き/花に迷うて言(ここ)に帰らず。

蕭条(しょうじょう)たる三間屋(さんげんおく)/終日人の観る無し/独(ひとり)間窓の下に坐して/唯聞く落葉の頻りなるを。

久しぶりに『良寛詩集』(岩波文庫)を取り出し、気ままに眺めている。こうした詩情と、今はやりの「おひとりさま」とを対比させるのもおこがましいが、その格のあまりに違う世界におのずから物思わしめられる。

過日、広島へ出向いた折、広島県立歴史博物館(福山市)で「暮らしのぬくもり―寶水堂コレクションの布と道具―」展が開催されていると知り、会期末の一日、参観に及んだ。『良寛詩集』に手が伸びたのは、恐らくそのせいであろう。

寶水堂コレクションとは、同館の解説によれば、広島の故・水野義之氏が急速に失われていく日本の生活文化を惜しんで収集した農具・民具・民芸品の数々だ。

展示された真空管ラジオや、紺と白の素朴なかすりに懐かしい思いで見入ったが、初めて見るものもあった。例えばカモメホーム製の洗濯器。洗濯物と水と洗剤とを入れ手回しする昭和三十年ごろの製品で、電気洗濯機の普及によりたちまち姿を消したという。つい、――ご苦労さん、と声を掛けたくなる一品だ。

展示の圧巻は、使い古した端布を継いで再利用した襤褸(ボロ)の数々だった。その中には、二百六十八枚もの端切れを継いだ布団地もある。それらはもはや襤褸にして襤褸にあらず、まさに暮らしのぬくもりとしか言いようのないものを実感した。

そのぬくもりは恐らく、慎ましやかな生活態度からおのずからにじみ出てくるものに違いない。こうした襤褸展示の意味は《慎ましく生きる》ということに尽きよう。かつて、この慎み深さが人間性の度合いを測る大切な物差しだったが、私たちの社会はそれを、それこそ急速に失っていった。

今や掛け値なしどころではない、自己を売り込めるのなら、なんとでもいうのだ。ここに良寛さんの「戒語」がしのばれるが、アメリカインディアンが伝承する言葉にも、「慎ましく食べ、慎んで喋る。そして、誰も傷つけない」というのがあるという。これに事寄せて、私たちの社会の状況を述べれば、「がつがつ食べ、言いたい放題。そして、互いに傷つけ合う」というほかはない。

今、政治や経済の分野では、内需拡大による景気浮揚が叫ばれている。しかし、望めばキリがないとはいえ、身の回りの品ぞろえはもう充分だといえるし、都市部の若者なぞは車に関心を示さなくなっている。そして行く末、少子高齢化による購買力や購入意欲の減退は避けられない。

が、それでは景気はいよいよ落ち込み、税収が不足するから、あの手この手の政策・企画が打ち出される。

製品が売れるのなら、エコだって利用するのだ。しかし、この期に及んでなお消費は美徳というのは、あまりに芸がなさ過ぎるのではあるまいか。

私たちは随分前から、――もうこれからは「心の時代」だ、と言い続けてきたが、心が豊かになったという話はついぞ聞かない。それは一体なぜなのか。このあたりで、それをちゃんと見定めないといけないのではないか。

良寛戒語に「ことばのおほき」というのがある。多弁・饒舌は威勢がいいけれど、そこにはどうしても不実が混ざりやすいのだ。そして、その伝でいえば「もののおほき」もまた、人の心を取り乱させる要因でもあろう。私たちの社会がそれをすでに証明している。

不景気は人心を暗くすると心配される。が、心の分野・魂や精神の立場から言えば、身の回りの品々を使い捨てせず大事に使えば、そこにおのずから育まれるものがあるのだ――なんら心配することなぞない、と宗教界が毅然と指摘したいではないか。