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高校野球監督の発言いまむかし

2010年3月30日付 中外日報(社説)

全国紙の地方支局に怪電話がかかってきた。怪電話だから、もちろん自分の名は明かさない。

「ニュースだ。P高校の生徒がけんかをして、相手にけがをさせた。いいか、必ず記事にしろよ!」

怪電話を受けたのは、一社だけではなかった。恐らく、Q高校の熱狂的ファンからではないだろうか。なぜなら数日前、その年の春の甲子園大会、つまりセンバツ(選抜高等学校野球大会)の出場校が発表され、P校は選ばれたが、Q校は選に漏れていた。P、Q両校とも野球の名門校で、全国優勝経験もある。

夏の甲子園大会、つまり全国高等学校野球選手権大会が、実力本位の勝ち抜き制で出場校を決めるのに対し、センバツは伝統的に、一味違った選考を心掛けてきた。当時は前年秋の地区大会の成績と"品位"ある校風を重視した。

裏返せば、品位に欠ける学校は出場させないということだ。実際に、出場が決まり、甲子園入りをした後で、野球部に直接関係のない不祥事が表面化し、出場辞退に追い込まれたケースもあった。

怪電話の主も、P校が出場できなくなれば、Q校におはちが回ってくると思い込んだのだろう。だが調べてみても怪電話のような事実はなく、各紙とも黙殺した。P校ナインは、予定通り出場を果たした。

その翌年の、夏の大会である。県予選を勝ち進んだP、Q両校は、優勝戦で顔を合わせた。しかし同点のまま延長戦に入っても、決着がつかない。再試合をしようにも日程が詰まっている。後日に持ち越すことにして、両校とも地区予選に駒を進めた。当時は一県一代表校制ではない。大多数の県は、隣県の上位校と共に地区予選を争って勝ち抜かないと、甲子園へ行けなかった。

地区予選で、P校は敗退し、Q校が優勝した。その勢いに乗り、Q校は甲子園の全国大会でも次々に接戦を制し、ついには優勝を成し遂げた。野球王国の地元は沸き返った。

深紅の優勝旗を先頭に、Q校のナインが県都の駅に降り立った。駅頭はQ校関係者で埋まったが、P校の監督もいた。Q校監督のそばに駆け寄ったP校監督は言った。

「おめでとう。よく勝ってくれたね。日本一になったQ校さんと、いまさら県予選の優勝戦を戦うことはない。あの試合は、うちの不戦敗ということにするからな」と。両監督の握手する姿を、各社の記者がカメラに収めた。昭和の時代のことである。

それまで県内では、野球の成績は互角でも、学校の格としては私立のP校より県立のQ校を重く見る傾向なしとしなかった。だが、両監督の握手以来、世間の目が変わった。男子校だったP校は共学校となり、今は大学進学成績が県立校に迫るほどになっている。もちろん、大学進学成績だけが高校の価値を決めるものではないが。

さて、最近のセンバツ選考では、野球部にかかわりのない事件の責任が厳しく問われることがなくなり、それに代わって「21世紀枠」による選抜が行なわれている。選考基準が分かりにくいとの声もあるが、要はあと一歩で甲子園に届かなかった成績の学校にも地域への貢献活動など競技以外の要素を加味して、出場の機会を与えようということであろう。

ところが今春、その21世紀枠で選ばれた学校に負けたというので、ある学校の監督が悔しさのあまり「末代までの恥だ。腹を切りたい」と発言し、相手校に失礼と批判され、辞任したという。これはスポーツマンとして、言ってはならない言葉だった。

それと対照的に、かつて全国優勝のQ校を出迎えたP校監督の言葉が思い出される。実はそのP校、今年のセンバツにも選ばれた。ヒントは、浄土真宗の盛んな県にある学校です。