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本を読むことは楽しいはずだが

2010年3月18日付 中外日報(社説)

大都市圏の通勤の車中で本を読む人の数が減った。満員で読書どころではない過密線区もあろうが、ゆとりのある車両の中でも"読む人"は少数で、もっぱらケータイのメール打ちが行なわれている。中には、ゲームや動画に夢中の人もいる。たまに本を開いているな、と思ったら、背表紙には図書館の番号札が……。自分で買って読む人は、ほとんどいない世相を示している。

先日、京都で世界の出版文化を回顧するユニークな展覧会が開かれた。開会式後のパーティーで、挨拶に立った出版社の社長が「実は昨年、出版界の総売り上げがペット産業に追い越されました」と言って、しばらく絶句した。いかにも無念そうだった。

振るわないのは書籍の売れ行きだけでなくて、伝統を誇る雑誌がこのところ次々に休刊に追い込まれている。さらには、かつて通勤車中にはんらんしていたスポーツ新聞も、あまり見掛けなくなった。活字文化の衰退は明らかだ。

それにもかかわらず、読書感想文コンクールは盛況だ。新聞社主催で全国の児童・生徒の作品を集めるものもあれば、出版社や地域団体、あるいは特定作家の顕彰団体主催で募集するものもある。

入選作は新聞紙上や雑誌の誌面などに発表される。課題図書に指定された一冊の本を、よくぞここまで読み込んだものだと感じさせられることが多い。

ところが教育関係者の中には、読書感想文を書かせることが、子どもを本嫌いにするという意見もあるようだ。感想文を書けと言われると、面白いはずの本が面白くなくなる。苦し紛れに、数年前の入選作を丸写しして提出する"盗作"騒ぎも起こる。

そんな事情を配慮したのか、ある小学校では、始業前の何分かを、学級文庫を読む時間に充てているが、校長の指示で、感想文めいたものは一切書かせないことにしたそうだ。その方が本への親近感をはぐくむから、という。

「今春も拙文が、どこかの大学の入試問題になったらしい」というエッセーに接したのはつい先日のことである。京都新聞に寄稿した原田多加司氏は、自らを「フツーの屋根職人のおっさん」と名乗っている。檜皮葺き・柿葺きの専門家である原田氏は大学卒業後、銀行に勤務、家業を継ぐため滋賀県へ帰り、各地の社寺建築で屋根の工事を担当してきた。

仕事の体験を『屋根の日本史』『檜皮葺と柿葺』など多くの著書で発表しているが、その文章の一節が、しばしば大学・高校の入試問題に採用される。事前に発表できないから、合格発表の後で「実はあなたの著書の一節を使わせていただきました」との挨拶状が届くそうだ。

ところが、問題がひねってあると、原田氏にも解けない難題になってしまう。「著者が言いたいのは次の五つのどれか」という、その五択の中には、原田さんが「しっとりとくるものが見当たらないこともある」とか。原著者が考えてもいないことが正解となってしまう皮肉さ。

同様なことは、同じく著書を問題に引用された、ある作家からも聞いたことがある。確かこの作家は「自分が考えてもいなかったことを『作者の意図』として正解扱いされることに、強い違和感を覚える」と語っていた。

自分が読んだことのある文章が出題されたり、読書感想文の出来栄えが評価されることで、読書への意欲をさらに強くする場合もあるだろうが、逆効果をもたらす場合もなしとしない。教育者、特に国語の教師は対機説法的な視点で、児童・生徒の個性に応じた指導をしてほしい。

対機説法といえば、文学性に富む諸経典が、檀信徒にあまり読まれていない。この点については、仏教者の努力が望まれよう。