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根室の薬局主が調剤した頓服薬

2010年2月25日付 中外日報(社説)

昨年の秋、高知市へ旅行した。ホテルの部屋でテレビをつけると、ローカルニュースで、その日開店したスーパーマーケットのにぎわいぶりを放映していた。高知市でのスーパー開店は数年ぶりだという。大手スーパーが撤退した跡は、更地のまま放置されている。そのそばにできたのが、今回開店のスーパーだが、規模はコンビニの二倍か三倍ほどで、以前の大手スーパーとは比較にならない小さな店構えらしい。

そういえば、高知市に限らず、地方の有力都市の都心部から、大手スーパーが相次いで撤退している。小売店を廃業に追い込んだスーパーが消えると、住民は不便で仕方がない。高知市の新しい小型スーパーは、そんなニーズに応えて店開きをしたようだ。

十二月に入ると、富山市内での路面電車の路線復活をテレビが伝えた。いったん撤去されていたレールを再敷設し、環状運転を始めた。これにより、市中心部の活気を取り戻すのが狙いだとか。走る電車のバックに、巨大なビルが見えた。先年店を閉じた百貨店だという。このビルに再び灯がともるかどうか。

百貨店といえば数年前に福岡市を訪れた時、地元を代表する百貨店の一つが閉店挨拶文を張り出しているのに驚いたものだ。もう一つの百貨店は、中央資本の傘下に入って生き延びたと聞いた。今年はさらに東京や京都の都心の百貨店が閉じるとか。

このように、スーパーマーケットや百貨店は、制度疲労というか、時代に適合しにくくなってきた。これに代わるものが郊外型の大規模商業施設で、巨大な駐車場付きである。スーパーや百貨店は、これら商業施設の中核店となったものが繁栄している。

もう一つ、見逃せないのは、電気製品や薬品の量販店だ。チェーン店組織のものが多く、町の電器店や薬局の縄張りを、あっという間に切り崩した。化粧品や菓子などの売り場を併設したものもあり、影響は一部コンビニエンスストアに及び始めている。

わたくしごとを書くと、昨年の夏、道東へ旅行をした。昼すぎ、根室市に着いた時、急に体具合が悪くなった。根室駅に近い三差路の角に、個人営業の薬局があった。以前にはどこの都市でも見掛けられた"町のくすり屋さん"タイプの店である。

店主に症状を話すと「分かりました。私が調合した頓服(とんぷく)があるから、これをお飲みなさい。一服で効くと思いますが、念のため二服、お持ちになれば」という。確か、一服百三十円だった。何十錠も入ったものを一箱買わねばなるまいと思ったのに、意外な低価格である。そして二時間もすると、症状はピタリと治まった。

根室市は人口約三万人。薬品量販店から見ればマーケットが小さい。だから住民に優しい薬局が今も続いているのではないか。そんなことを考えた。

量販店と"町のくすり屋さん"と。その対比の延長線上で感じるのは、政治の世界である。今の国会は、大政党によるマニフェストの量販店になっていないだろうか。

かつて新進代議士の時代に、車いすの人の列車の旅に付き添い、バリアフリーの大切さを唱えた人が、今要職に就いたため、細かな問題に対応しかねている例を見る。一服の頓服で済むのに、数十錠入り商品を買わされる市場経済を見せつけられる思いだ。

それは宗教についてもいえるのではないか。住職が檀家の一人一人の顔を知っているという"適正規模"を超えると、寺檀関係がよそよそしくなりかねない。「寺報を見れば寺の雰囲気が分かる」との声も聞く。京都市では、檀家の人々が"勝手連"的に原稿を持ち寄る寺報が、他宗派の寺からも注目されている例がある。そんな"勝手連"がさらに増えることを……。