ニュース画像
「誠」の隊旗を掲げた五重塔院で営まれた法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

寺と檀家を結ぶ心の交流確立を

2010年2月11日付 中外日報(社説)

きれいごとを並べても仕方がないから、率直に書かせていただく。先日、中外日報社に『宗教のないお葬式』(文理閣)という本が届けられた。編著者は柿田睦夫、北添眞和両氏。

「心のやすらぎ」を求めるのが人間の常であることを認めつつも、昨今の高齢者行政の厳しさが、宗教離れ葬儀を招いた一因であると分析する。

それよりも筆者には、昨今の新聞各紙の読者投稿欄に、手厳しい言葉が並んでいるのが気にかかる。例えば朝日新聞。昨年秋以来、要旨次のような文章が掲載された。

まず横浜市の会社員・Mさん。「母が亡くなり、菩提寺ともめた。戒名を授けて本葬儀をしないと浄土に行けないと言い、戒名料と本葬儀を合わせていくらのところを、いくらに減額すると言われた=紙面には具体的な金額が表記されていた=。この先わが家では、お経のない葬儀をすることになる」

岡山市の主婦・Fさん。「私たち夫婦も迷った末、死後の後始末を次のように決めました。葬式はお寺さんを呼ばず家族だけで。お経の代わりに故人が好んだ曲を流します。戒名なし、法事もせず、皆がそろった時に遺産を使ってごちそうを食べ、私たちを思い出してもらいます」

毎日新聞では、大阪府吹田市の無職・Oさん。「父の葬儀の場合、僧侶へのお布施が特に大きな負担でした。何とか工面しましたが『おちおち死ねないなあ』と感じたものです。寺にとって生活がかかっているのは分かりますが」

兵庫県姫路市の無職・Nさん。「私の住む団地では身内だけで葬儀をすませ、一般には知らせなくなっている。過日も、三軒隣の奥さんが少し前に亡くなったと聞かされ『エーッ』と声をあげた。子どもが小さいころ、お祭りなど自治会の行事を盛り上げた間柄なのに。死者を弔うのはどんな方法でもいい訳だけれど、ちょっと寂しい気がする」と、葬儀費用節減の風潮に批判的だ。「自己責任論、プライバシー尊重論が強まって、厄介な人間関係を避ける風潮が定着したのだろうか」とも。

朝日新聞には、住職側の意見も登場した。大阪府寝屋川市のKさん。「寺を運営するためには、お金が必要です。しかし頂くのは、あくまで『お布施』です。寺が要求するのではなく、檀家が檀家の意思で施すのです。亡くなった人は、お経という『橋』を渡る。それでこそあの世に安住することができると、私は考えています。自らお布施を求めないお坊さんが大勢いると信じます。そういうお坊さんに読誦されて旅立てる方は幸せです」

同紙には、大阪府八尾市の女性の介護職員・Hさんが一文。「長男が難病のため、十七歳の短い生涯を閉じました。気力を失い、泣き暮らすうち、法事のたびに耳にするお経の意味を知りたいと思うようになりました。あの世で息子が聞いているなら、そのお経の意味ぐらいは理解しておきたい、と。お経の解説本を読み、月命日には漢文でお経を読むようになりました。漢文のお経のほかに、和訳のお経もあれば、仏前で息子に話しかけるように読むことができるのではないかと思います」

そして毎日新聞俳句欄には、鷹羽狩行選、宮崎県小林市・Yさんの一句。「胸に灯の点る法話や初詣」。法話を聞いて心に自灯明法灯明をともす仏教徒は、まだまだたくさんいるのだ。先に挙げたMさんやFさんの場合、檀那寺の住職との間に、法話を通じての心のネットワークが確立されていたかどうか。

折も折、同紙投稿欄では東京都の画業・Hさんから「私は天涯孤独の身。互いに他宗派を悪く言うお寺の世話にならず『直葬』をしてほしい。小さい花びらがあればそれでいい。あとは散骨を」と。宗教界、うかうかしていられない。