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普天間報道から抜け落ちたもの

2010年2月2日付 中外日報(社説)

ことし改定五十年の日米安保条約の前文に「国連憲章の目的、原則への信念」と「すべての国民・政府とともに平和のうちに生きようとする願望」とを再確認し、この条約締結を決意したとの一節がある。英文直訳の難解さはあるが、平和維持に国連を重視していることは分かる。翻って沖縄の米軍普天間基地移設に関し日米合意の履行を声高に迫る昨今のメディアの論調を見る時、その異様さが際立つ。米軍による「抑止力」崇拝に傾き過ぎていると思うのだ。

先日、全国紙の投書欄に法然上人の故郷(美作=岡山県)から比叡山への道を徒歩でたどる旅に参加した人の一文があった。「大阪空港のそばを歩き、発着音の凄まじさに約五十人の参加者は度肝を抜かれた。『ジェット戦闘機基地ではこれどころじゃありませんよ』と参加者の僧侶が言われ、一同がくぜん。では沖縄の米軍基地の騒音はどれだけか。その下で生活する方々の苦労を思いました」。そんな内容だ。

人の痛みを気遣う投書者の想像力の豊かさに比し、メディアの言説はあまりに寒々しい。先の沖縄県名護市長選で普天間の同市辺野古沖への移設反対派が勝ったのは、さまざまな基地被害に苦しむ沖縄の心の表われだ。だが、報道の論調はむしろ選挙結果が「日米同盟」に及ぼす影響を懸念するトーンだった。「そもそも国の安全保障にかかわる問題を首長選挙の結果に委ねること自体が誤り」と断じた社説もあった。

筆者は以前にこの欄で、普天間移設をめぐる論調を「対米依存症候群」と書いたが、岩波書店の『世界』二月号がこの問題で特集を組んでいる。学者、地元首長、ジャーナリストや政官界関係者らの論文、インタビューなどだが、中でも多摩大学学長・寺島実郎氏の意見は手厳しい。普天間問題の昨秋からの報道で実感したのはメディアを含む日本のインテリの表情に根強く存在する「奴顔」であるとした上で「日米の軍事同盟を変更のできない与件として固定化し、変更を加える議論に極端な拒否反応を示す人たちの知的怠惰には驚くしかない」と決めつけている。

「奴顔」というのは中国の作家・魯迅が、二十世紀初頭の植民地支配に慣れきってしまった中国人の卑屈な表情を嘆いて言った四文字熟語からとっている。寺島氏は七年前、米軍のイラク侵攻でバグダッドが陥落した際にも、虐げられることに慣れたイラク人の表情に「奴顔」を使っていた。いずれにしろ辛らつ極まるメディア批判である。同誌の特集では東京外国語大学大学院教授の西谷修氏も、今のメディア状況を米国への「自発的隷従」とこきおろしている。

両氏の主張はそれとして筆者は特集でもう一つ、ハーバード大学名誉教授の入江昭氏の論文に納得した。氏は、現代の国際関係は「複数の国の動向を除外して語れない」との視点から「日本の対米政策は中国、インドやEU諸国など(のような国々)との関連においてのみ可能であり、同じことは米国の対日政策にも言える」という。その上で民間レベルのグループや大学生の留学など国境を超えた個人の交流、信頼関係の拡大発展こそが真の安全保障につながり、それは対米関係にも当てはまるとの考え方を述べている。人間同士の重層的な触れ合いが肝要ということだ。

分かっていたようでいながら、実は深く理解していなかった大事なポイントだ。この視点がメディアに抜け落ちていることに気づかされた。

安保条約に戻ると、報道が軍事同盟に執着するから日米合意の履行か普天間の現状凍結か、といった硬直した議論に陥る。今後「日米同盟の深化」をめぐる論争が予想される。平和のため各方面との対話を積み重ねてきた宗教界からの発信を期待したい。