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世界最後の日はこの寺の本堂に

2010年1月30日付 中外日報(社説)

般若心経から=二十代の終わりごろ『仏教東漸』というテレビ番組を見た。(中略)般若心経はじめ仏教の経典はいくつもの地域を越え時間を越え、遠い道をやって来た。まず経典をいただくために印度まで赴き、白骨を道標としながら故国に持ち帰った僧侶。それを漢訳した人。危険な船旅のすえ日本に伝えた人々。日本人に分かるように音訓を考え出した人々。はるか昔の血のにじむような営みが実に多くの文化を生みだしたのだ(後略)」

京都市上京区・浄土宗成願寺(藤井幹也住職)の寺報『足跡』第六十五号に、檀徒の井上千恵子さんが寄せた手記「形と意味 二〇〇九」の書き出しである。井上さんは約三十年間、京都の日本語学校で、外国人に日本語を教えてきた。仏教伝来を言葉の面からとらえたのは、その経験によるものであろう。

井上さんは言う。「初期にはドナルド・キーンさんやサイデンステッカーさんの弟子という方が通ってきて、同じ意味の日本語で微妙な言い回しの差のある言葉について、鋭い質問を受けたものです。だが今は、外国語を形だけ日本語に書き換えることができれば満足、という受講者が増えました」。手記の題は、井上さんのこのような感慨に基づいている。

虫の目と鳥の目=現場担当者は困っている人に正しく手を差し伸べてください。些細(ささい)な不公正も不公平も見逃さずに。けれどももっと上にいる人々は目先の対策で仕事を終わらせないでください。国民から選ばれ権力を委ねられた政治家等の皆さんは、どうぞ巨視的な立場でお願いします。(中略)そうすれば日々の生活に追われ、外に対する関心も配慮も持ちようがない私みたいな者も、世界の一員として広い視野が持てると思います。それから日本語を勉強した生徒さんたちが日本語を勉強して良かったと感じ、今も世界のどこにいても誇りに思える、そんな日本であってほしいのです」

寺報『足跡』は藤井照久前住職時代の昭和五十七年に、手書き一枚のコピーの形でスタートした。翌年はワープロ印刷、やがて活版刷りと成長、ページ数も増えた。不定期の発行だが、檀信徒が愛読するだけでなく、近くの法衣店や仏具店での店頭配布を通じて読む人も多い。

特色は、住職執筆の法話調の記事がなく、檀信徒持ち寄りの手記でページの大半が埋まることだ。「檀徒には教職経験者もあり、その人々が書くエッセーが誘い水となり、よい原稿が集まります」と幹也現住職。昨年発行の第六十四号では上野みさ子さんの「銀行の手数料」が話題となった。孫が貯金箱にためた小銭を預金に行ったら、枚数が五百枚を超えたため、三百五十円の手数料を取られたとの報告だ。「私は両替をしてもらいに行ったのと違いますねん、預金しに行ったのです、そやのに手数料取るとは何ごとですねん」。こんな生活感あふれる話題が寺報に載った前例があるだろうか。

井上さんの手記は、さらに続く。

極楽往生=もし明日死ぬとしたら、何がしたいですか? 明日全人類が滅びるとしたら?/ある小説では、西欧の神の信者は教会で祈り、強大な権力者が支配する所では公邸の庭や広場に集まり、何も信じない若者たちは路上で歌い絶叫する。あるいは自宅で家族と一緒に思い出を語り合う/誰もが自分の安心できる居場所を求めている。それはつきつめると帰依になる/私はこのお寺の本堂で家族と最近お近づきになった檀家の皆さま方とご一緒でしょうか? その節はよろしくお願いします」

寺報に教化めいた文章を一切書かない幹也住職が、井上さんにこの一文を書かしめた。六十五号を数える『足跡』の成果の積み上げが端的に表われているといえないだろうか。